【部員コラム】No.61~70

第70話

こんにちは☆私の出身中学校を知っていてくれた伊藤アンディー雅クンから埼玉バトンを受け取りました藤澤彩香です。現在女子主務を務めさせていただいています。代交代した直後は慣れない仕事に常に悪戦苦闘していましたが、国公立、四大、日本インカレと終えて少し成長したかなと思う今日この頃です。まだまだ未熟者ですがこれからも精進していきますのでよろしくお願いします(>_<) “ayapanman” みなさんこの文字を見たことありますよね?そう、これは私のアドレスの一部です。文字通りアンパンマンから来ています。私のほっぺたの辺りがアンパンマンに似ているということから友達がつけてくれました。当時は似ていると言われることがあまり好きではありませんでしたが、今では正義の味方の分身として日々頑張っています(笑) アンパンマンといえばどの世代でも子どもたちの憧れの的です☆いつでも、どんなときでも最後はアンパンマンの勝利で終わります。アンパンマンは負け知らずのカリスマ的HEROなのです。 そこで(?) 今回はアンパンマンの強さについて考えてみたいと思います。アンパンマンには『アンパンチ』という必殺技があります。しかしアンパンマンの強さはこれだけでしょうか??そうではないと思います。ピンチの時には必ず助けに来てくれる食パンマンやカレーパンマンなどの信頼できる仲間たち。いつも果敢に立ち向かってくるバイキンマン、ドキンちゃんという強力なライバル。顔を作ってくれるジャムおじさん、新しい顔を投げてくれるバタコさんなどのサポート陣。そして『愛と勇気』が正しいと信じる強い信念。‥‥などなど、このようにアンパンマンの強さは色々な要素が含まれて成り立っているのだと思います。 これを競技に置き換えて考えてみましょう。素晴らしい才能を持った選手がいます。しかし仲間、ライバル、サポートが充実していなかったり、自分自身を信じられる気持ちが持てなかったりしたらその選手は百戦連勝という訳にはいかないと思います。選手個人の日々の努力ももちろん必要です。しかしその努力の成果を100%、いや120%発揮させる為にチームというものが大切になってくるのではないでしょうか。最強の選手を生み出すために最強のチームを作っていきたいです。一年後そんな素敵なチームになっていたらいいなぁ♪ 次は埼玉の流れを止めず、中学の頃から同じ市内での付き合いである我らが主将・橘京佑さんにお願いしたいと思います☆アンパンマンシリーズでいうと彼は長ネギマンだと思うのだけどみなさんどう思いますか??(笑) 2005年7月9日 藤澤 彩香 [/su_note]

一生懸命走ること

 ちわーす。伊藤先輩からバトンを受けた短距離ブロック1年の『アンディー』こと伊藤雅です。先日の全カレ、選手の皆さんはお疲れ様でした。今回僕は応援での参加となりましたが、学大の仲間や他大学の選手の競技を見て色々な面で刺激を受けることができました。  さてさて、今回初めてコラムを書くにあたって何を書こうか考えた結果、やはり陸上ネタにしようと思い、今回は僕の陸上人生で印象にあった2つの出来事を紹介します。  1つ目は中学1年の陸上部に入部して初めての大会選考の話です。この大会では1年生は100mと1500mの2種目があり、各2名が出場でした。そこで全員が2種目のタイムトライアルを課せられたわけですが、当然短距離の僕は100mの選手を狙っていました。だから先に行われる1500mは苦手だし、体力温存のために妥協することにしました。しかし計測が始まって1周後、僕を含めゆっくりと走っていた何人かが先生に止められて怒られました。結局その日は100mの計測はさせてもらえず、グラウンドをずっと走らされるはめになりました。この出来事が陸上人生で唯一先生に怒られたことです。そしてこの出来事があったからこそ一生懸命走ることをあらためて学べたと思います。  2つ目は・・・といきたいところですが、なんせ今週土曜日には幾多の先輩方を苦しめた人解のテストがあり勉強したいので、まとまりのない文章ではありますが次回にこうご期待ということで勘弁してください。 さて次は埼玉流れを復活させて、同じ短距離ブロックでもある藤澤先輩にバトンを渡したいと思います。いつも主務の仕事お疲れ様です。それではよろしくお願いします。 2005年7月6日 伊藤 雅

「考える」

チョメ塚君からバトンを受け取りました中長ブロック2年の伊藤拓也です。 さて、チョメ塚君から回ってきたわけなんですが、彼のコラムの中で理解できないところがありました。 それは「代官山の山頂に行きたいと夢見て・・・」という1文。 彼は何を言ってるのでしょうか?代官山は山じゃないですよね。あ、わかった。秋田の鷹巣なんて辺境の地で多感な時期を過ごしたから代官山を本物の山だと勘違いしてるんだな?きっとそうに違いない。なのでみなさん今度彼に会ったら教えてあげてください☆ …このままだとウソツキ呼ばわりされかねないので白状します。はい、確かに一年前僕は「明日代官山でも行くか?」という及川さんの発言に対し 「代官山って何県ですか?標高何メートルですか?」 という東京出身とは思えない発言をしました。いや、ちょっとだけ言い訳させてください。何でこんな発言をしたかと言いますと ①中長ブロックの練習場所として浅間山、高尾山というのがあるのでてっきり練習に行くんだと思った ②小中高と江戸川区(地元)の学校だったので生活圏はすべて地元。ゆえに都会には縁がなかった ③そのとき実は酔っていた思考回路が麻痺していた と、こんなところです。あれ?言い訳になってないですか?まあ東京出身ならそれぐらい知っとけってことですよね。はい、仰るとおりで。しかしつい先日同じ東京出身のKも「代官山って何ですか?」という発言をしたため偽東京人の仲間入りを果たしました(拍手)「ああ、自分だけじゃないんだ」と救われる思いです(笑) あ~チョメ塚が変な振り方するから代官山の話しかしてない(>_<)なので長くなりますが書きたかったことをこれから書きますm(_ _)m 最近僕は「考える」ということが非常に大事だなと思ってます。考えるというのもいろいろあり、まずどんな練習をしたら速くなれるかを考えるところから始まります。トレーニングに関しての本を読んだり、人からアドバイスを受けたりすると、取り入れようかな?と思うことがたくさん見つかります。 ですがこれらを漠然と取り入れていたら時間は足りなくなります。そこで次にどう効率よく練習していくかを考えることが必要になるかと。一週間のうち、もしくは一日のうちに取り入れたい要素をどう配分していくか、偏りはないか、ムダはないか・・・今授業がたくさんあり、通学にも時間がかかるので時間の有効活用の重要さをつくづく感じています。そして最後に一つ一つの練習の意味を考えることです。インターバルをただこなすのと、一本一本自分なりに意味を持たせるのとでは練習効果がちがってくるのではないかと。このように競技についてあれこれ試行錯誤してやっていけば必ず結果はついてくるだろうと信じています。 と、以上長々と書いてきましたが、正直今はまだ「こんな風にやっていきたいな」という理想を述べただけに過ぎず、100%実行は出来ていないと思ってます。ですがこうやって競技に集中して取り組める時間は限られているので、理想で終わらせないように一生懸命取り組んでいきたいです。 次は同じ名字の伊藤雅君にお願いします!ありきたりだけど、、、 2005年7月2日 伊藤 拓也 [/su_note]

秋田県ローカルトーク

なんだか埼玉県人が続いているみたいで、鶴ヶ島の白井さんから春日部の土濃塚さんに回ってきました。ここで僕が埼玉県民というと不思議に思う人がよくいます。特に先輩方にそう思われている方が多いようで…。秋田出身じゃなかったかとよく言われますが、秋田は人生の中で中学高校を過ごしただけで、実際は埼玉県にはもうかれこれ15年住んでいるわけで、現在は遠い道のりを通う自宅生です。でもやはり思春期を秋田で過ごしただけあって、あの地はかなり僕という人物形成に影響を及ぼしましたね~。秋田さ居たのがみじけんどや、したらばって秋田弁だっきゃしゃべれねわけじゃねたばって。 そんな秋田県の生活とはいかなるものなのか紹介しようと思います。まず僕の住んでいた町は県の北部に位置する合川町(現北秋田市)で、人口8000人弱の町でした。町唯一の中学校は全校生徒210人程の学校で、冬には1m以上の雪が常に積もっており、起床と同時に親は雪掻きをしないと学校にいけませんでした。もちろん町中にも雪があふれていますので、農家の一部は除雪車の運転手として駆り出され、毎朝3時に町中を行きかいます。寝る前には必ず水道管の中の水を抜いておかないと次の日の朝には-10℃の気温にやられて水道が使用不可能になってしまうので要注意です!!コンビニも僕が中学3年の頃にようやく1件できたほど。埼玉県大宮市からいきなりこんな田舎に飛ばされたときには正直と惑いました(笑) 高校は隣町の鷹巣(現在は合川と合併して北秋田市に)に通ってましたが、ここも田舎ならではのシビアな電車のダイアに苦しめられました。1本電車を逃すと1時間半次の電車がやってきませんのよ。つまりあの憎き1車両の電車に1分でも遅れると高校に遅刻してしまう訳です。おまけに終電は8時12分…。毎日の部活と同じくらい電車に間に合おうことに僕は青春をかけていました。ちなみにカラオケは一部屋1時間1000円です。まったくこっちに住んでいたら考えられない青春を過ごしていたわけです…。だから埼玉にでてきた浪人中は勉強せずに遊んでばかりいてしまったんですかねぇ。 こんな紆余曲折な生き方をしてきました☆では次は田舎者の僕とは正反対の、代官山の山頂に行きたいと夢を抱く、シティボーイイトゥ君にバトンパスです☆ 2005年6月29日 土濃塚 渉

いのし

どうも、男子短距離ブロック2年の猪石篤です。いのしです。「いのし」は、山田清香さんに、「いのいし」の「い」を勝手に取られて呼ばれ始めた気がします。 最近の僕は、足低の痛みに悩まされています。もう一ヶ月半くらい前から痛めていて、今でも満足に走れません。ここ数日は無理矢理走っていますが、やはり痛いです。ですから、ずっと補強系やストレッチといった練習が中心でした。その甲斐あってか、少し筋力が上がった気がするし、走りも以前より力強さが出てきた気がします。“故障で走れなかった期間によって、以前出来なかった練習が出来た!”と考えれば逆に良かったのではないでしょうか?プラス思考に考えてやるしかないです。しかし、まだまだ他にもやれることはあるので、やれることをしっかりやっていこうと思います! 次に男子短距離ブロックについて述べたいと思います。今年度の短距離ブロックは、たくさんの有望な1年生を迎えることができました。先日の関東インカレ、国公立対抗では、短距離1年生の活躍も目立ちました。代が交代し、高橋豊先輩が新ブロック長に就任されました。新体制となり、多くの部員を持つ短距離ブロックの果たす役割は大きいでしょう。その中で唯一の2年である僕は頑張らなければいけないと感じています。色々な面で役割があると思うのですが、これから短距離ブロックの一員として支えていけるよう頑張ります!これからも「いのし」をよろしくお願いします!! 次は短距離ブロックの先輩の野尻さんにまわしたいと思います!よろしくお願いします! 2005年6月8日 猪石 篤

辛抱する“気”に…

埼玉バトンを受け取りました、2年中長ブロックの白井です。安楽先輩・悠希と同じく東上線ユーザーで、西武線と合わせて計3本の電車を乗り継いで、毎朝国分寺にたどり着きます。 私もちょっと自己紹介をします。私は中学から陸上中長距離を始め、今年8年目に突入したところです。陸上のほかにも、バトミントンとかバスケとかちょっとハードめなスポーツが大好きです!性格は自分ではよくわからないのですが、早く1年生とも仲良くなりたいのでよろしくお願いします(^u^)。  今回初めてのコラムで、何を書こうかすごく迷ったのですが、皆さんのコラムで「ん~、イイ!!」って思う言葉がたくさんあったので、私も言葉を紹介します。 「辛抱する“気”に花が咲く!」 という言葉です。これは、高校の先生が、部活のノートなどによく書いてくださった言葉です。強くなるために、頑張って、頑張って、我慢して・・・・そうすればいつかきっと結果が出る、という意味だと思います。 高校時代、記録が伸び悩んでいたとき、先生が「停滞している時期が長ければ長いほど、力がたまって、伸びしろが長く大きくなるんだ、今が我慢だよ。」と言っておられました。この言葉も「辛抱する気に花が咲く」ということを表している気がします。 私は今、記録がなかなか伸びない状態にいますが、この言葉を信じて辛抱強く練習して記録を伸ばしたいと思います。超速女(チョッパヤオンナ)になりたいです。  学大の陸上部に入って一年ちょっとですが、強くて優しくて楽しい先輩や仲間と陸上ができて毎日楽しいです。皆さんいつもありがとうございます。  次は、高校は秋田県、しかし現在埼玉在住のチョメ塚君にバトンを渡しま~す! 2005年6月25日 白井 久美子

人間って一人では生きられへんよね

 はいどーも、コラム初登場の短距離ブロック3年、『チーム近畿』副主将(自称)で『チームいなげや』のブロック員でもある野尻剛史です。何人かの1年生に「つよし」だと思われていますけども、「たけし」って読むんでそこんとこよろしくね。  今回僕が書こうと思うのは、タイトルにもあるように‘人間は一人では生きられへん’ということです。「人という字はヒトとヒトとが…」なんて○八先生みたいな難しいことは言わんので悪しからず(笑)。皆さんご存知のように僕は4月15日の授業中に突然意識を失って、昭和病院に運ばれました。それからしばらく入院したんやけども(皆様、その節は本当にご迷惑、ご心配をおかけしましたm(__)m)、あれが授業中じゃなくて一人で家におるときやったらどうなってたんやろ…、って考えたらホンマ恐ろしいね。まず今の僕はいなかったでしょう。入院中は多くの人がお見舞いに来てくれてめっちゃ嬉しかったし、親父も地元和歌山からわざわざ来てくれました(迷惑かけすぎですな)。「俺って多くの人に支えてもらってるんやなぁ」って勝手に思ったりしてました。やっぱ人って他の人の支えと言うか手助けがなかったら生きていかれへんな、ってすごく考えるきっかけになったかね。  実際まだ直接的な原因がわからん状態なんやけど元気になれてよかったぁ(^.^)   なんか何が言いたいかよくわからん文章になってますけど、倒れたときから脳が弱ってるんで勘弁してください(笑)。次はえーっと…みんなそろそろフレッシュな空気が欲しいよな?じゃあ新たな風を吹かしてもらいましょう。首元に光るリングが軽く怪しげな(本人は否定してるけど)高橋修平くんで~す☆ほんじゃ修平、お願いね(^o^)丿  2005年6月11日 野尻 剛史

I Love 短女

 えぇ、首に光るリングが気になる修平君がバトンをパスした濱田さんからバトンを受け取った安楽桂子です。簡単に自己紹介をします。私は、濱田と同じ東上線ユーザーで埼玉から通っています!私服だと、後輩に挨拶されないので頑張って自分から挨拶するように心がけてます。あっ、大学三年生です。高校は、国友と同じ埼玉栄を卒業しました。熊本県の東町小・中を卒業。小学校時は、バレー部。中学時は陸上部でした。この様な歴史の元、安楽は育ちました。  さて、何の話をしようか…悩みましたが、女子短距離ブロック長であるので、ブロックの自慢話をします!  まず1年生の高橋は、天然中の天然。何を言い出すか冷や冷やしますが、何事にも一生懸命に取り組んでいます!北島も天然。あの細い体にどんなパワーが潜んでいるのか…将来が楽しみ!国友との付き合いは、かれこれ5年目になるでしょうか…。しっかり者で、チャンスをモノにする頼れる後輩です!  2年生の大野。あの大きな瞳の奥に隠される思いは…まだまだ目が離せません!加瀬(馬)は、陸上を始めたばかり。まだまだビギナーですが、競技に対する真剣な姿勢からたくさんのものを学ばしてもらってます!川上は、もう二十歳なのに高校生並みの元気っ子。股関節の柔軟性はピカイチ!土田は、本当に真面目さん。笑顔が素敵な後輩です!実央様は、体はやや弱いですが芯の部分はとっても強い!!天然コンビの後輩の面倒見もよく、感謝してます!  4年生は、偉大な方が勢ぞろい!西尾先輩は、本当に本当にお手本のような先輩です。厳しさとやさしさを持つ素晴らしいリーダーです!江連先輩のあの笑顔にいつも励まされます!一生懸命に走る姿から、短女一同勇気をもらってます!  そしてなくてはならない3年生。うちのブロックには主将も主務・獅友会リーダーが揃ってます。小口は、あのやさしい顔からは想像出来ない意思の強さをもってます。頼もしい主将です!藤澤は、明るく明るく明るく・・・元気いっぱいの女の子。とても責任感が強く頑張り屋の女の子でもあります!田原は、とにかく安楽と同様で声がデカイ!いつも注意されるのはうちら2人です。すみません…しかし田原は、周りの人間には人2倍くらい気を遣う優しい心の持ち主!助かってます。  こんな13人+安楽で活動しています! うちのブロックは、ほんとに明るく元気なブロック員達です。そして、みんな真面目なプレーヤー。そんなブロック員に私は、常に陸上を楽しむことを呼びかけています。 『enjoy』  この一言で現実が変わるとスイマーのIan Thorpeも言っていました。練習も確かに楽ではないし多くの時間を費やします。しかし、この『enjoy』という言葉がその練習に対する考えをプラスの方向に変えてくれます。一生懸命練習をして準備してきた本番のレースでは、なおさらいえる話ですね。かけっこ大好きが集まったこのブロック員。そして部員のみなさんとともに、もっと『進化』していきたいと考える安楽でした。ありがとうございました。  次は、このまま埼玉の流れを生かして、白井きゅっき~にバトンを渡します! 2005年6月22日 安楽 桂子

第64話

 こんにちは。同じ埼玉っ子、そしてやっぱり首に光るリングが気になる修平からバトンを受けました、濱田悠希(はまだゆき)です!!(^^)1年女子初のコラム…ということで、何を書いたらいいのかわかんないんで、今の私の陸上への思いを語らせていただきます★   私は、大学に入っても陸上を続けようとは初めは思っていませんでした。正直、東学大の陸上部に入ったのも、もちろん純粋に陸上を楽しみたいっていうのもあったけど、「保体科だし、みんな部活入るんだろうな~」とか、「推薦で入ったし、陸部入んなきゃな~」っていう気持ちも少なからずありました(こんなこと言うと怒られるかもしれませんね…)。私は中学の時から陸上をやってきました。中学校のときは顧問の先生に怒られながらも必死についていき、気づいたら記録もどんどん伸びていきました。しかし、高校に入り、私の記録は全然伸びなくなってしまい、目標にしていたインハイも、リレーで仲間に恵まれて出場できたものの、個人としてはそこまで成長できませんでした。そこまでで私の陸上への思いは一旦切れてしまったようで、大学入学時には全然気持ちも入っていなかったと思います。   では…今はどうかと言うと…もっと強くなりたいってめちゃくちゃ思ってるんです!!これは、やっぱり周りで練習している先輩や同級生のみんなの影響です。一緒に練習して、大会に行って、周りのみんなが本気で陸上をやってる姿をたくさん目にしてきました。そんなみんなの姿を見て、「私も強くなりたいな」って素直に思えるようになりました。特にそれを感じるようになったのはやっぱり関カレですね☆選手を本気で応援し、選手も自分のため・チームのために本気で戦っていました。その姿に感動したし、私もチームの一員になれてよかったと思ったのと同時に、選手として戦えない自分に悔しさを覚えて、早くチームに貢献できるようになりたいと感じました。やっぱり仲間って大事だな…ってつくづく思いますね♪   よくわかんない文章になりましたが、とにかく私は早く強くなって、東学大の一員として胸を張れるような選手になろうと思います!!そのために、練習に励んでいきます!そして、仲間を大事にしていきたいと思います★なので、皆さん、よろしくお願いしますね(*^_^*)   では、次は同じ埼玉っ子、東武東上線ユーザーの安樂先輩に託したいと思います。よろしくお願いします(^・^) 2005年6月18日 濱田 悠希

第63話

 こんにちは。言ってることがよくわからない野尻先輩から受け継ぎました修平です(笑)。フレッシュな風をふかさせていただきます。一年生初ということで何を書いていいやら迷っていますが、まだ自分のことを知らない先輩もいるかもしれないので、ちょっと簡単に自己紹介!   ■名前:高橋修平(短短ブロック)。ゾエマンからは、ちゅうと呼ばれています。   ■性別:オス   ■好物:イチゴ、ミルクレープ、パスタ、本屋の匂い   ■嫌物:ねずみ、乳酸、領収書、頑固   ■特技:人の匂いをあてる   ■三日前から好きな言葉:「自分の体で大変な苦労をした方には、かないません」    ~イチロー262のメッセージより~ こんなところでしょうか。。。  学校生活が始まって、もう2ヶ月半が経ちました。この間には入学式、関東インカレ、新歓などがありとても慌しくすぎていてしまいました。しかし、とてもたのしい学科の友達や信頼できる陸上部の先輩、みんな個性が強いけどそれがなんともおもしろい同期の陸上部仲間のおかげで5月病にもかからず、新生活にもなれ、とても有意義な学生生活を送ることができました。学芸に入る前に、こんな楽しい大学生活は予想していませんでしたから。  実は私は、去年学芸大学を受ける気はありませんでした。学芸落ちてからは、なんにもやる気がなく、ずっと家にいました。けれど、少しの時間でしたが、先輩たちと過ごした時間がとても楽しく、どうしても忘れられなかったので、もう一度受けてみようと思い、夏ぐらいから学芸を受けるために勉強し始めました。現二年のある先輩には、受験中ずっとお世話になり、学芸陸部の様子や記録などを教えてもらっていました。そして、学芸に受かったときは本当に涙しました。ある先輩が泣きながら「おめでとう」といってくれたときには、本当に学芸に受かってよかったなと思いました。特に短距離の先輩方にはとてもお世話になりました。本当にありがとうございました!  今年は、まず現役時のベストタイムに戻すために、基礎体力を向上させることを中心に、現役時には、故障していなかった年がなかったくらいなので、故障しない体作り。そして、関東インカレ常一部校に戻すことを目標として、「1」を狙っていきたいと思います。 あー終わってしまった。先輩たちみたいに、うまいこと書けなくてすいません。また回ってきたときには、できるだけ感動的な文を書くんで、今回はこの辺でご勘弁を。 それでは、ここ連続男っくさく、短距離できたので、新鮮なかおりをかもしてもらいましょう。ここ最近悩みもなく、毎日がルンルン☆でしかたない、同じ埼玉っ子。宮本選手の前髪に似ている濱田ゆきさんお願いしまーす。 2005年6月15日 高橋 修平