第476回 「陸上は個人競技」

「陸上は個人競技」
失礼します。三重県立上野高等学校出身、B類理科専攻4年村手光樹です。男子中長距離ブロックに所属し、競歩を専門にさせていただいております。せっかくの機会なので普段口に出せない思いを書かせていただきます。全カレ10日前にアドレナリンの勢いで書いたため、身のほどをわきまえない、厨二っぽい痛すぎる文章が出来上がってしまったことお詫び申し上げます。お恥ずかしい限りですが、最後まで読んでいただけると幸いです。

僕は高校から陸上を始めました。というのも、父が少年野球のコーチ、叔父が中学野球部の顧問はじめ、野球が比較的得意な環境だったため、自分も部活動は野球が当たり前と考えていました。ただ、大きくなるにつれ、保育園からの友達2人は体も大きくエース格や4番を打つ中、自分は安定の下位打線。極度の緊張から手が震え悪送球ばかり。なぜ自分よりできる人を差し置いて、僕は試合に出させてもらってるのか、足を引っ張っていることを自分が一番わかっているからこそ、チームのみんなの顔を見るのが怖くて辛かったです。そんなこんなで「もうみんなに迷惑かけるのは嫌だ。」と個人競技に逃げたことが始まりでした。

一方、陸上は仮に負けてもみんなには迷惑をかけないことから楽しくのびのびでき、高校になり初めて部活動で自分に居場所ができたような気がしました。しかし、今思えば完全に自分の結果さえよければ良いというような、傲慢さも少なからずあったと思います。

大学でもはじめは正直、自分の結果さえよければ良いというような思いがありました。しかし、こんな自分の結果に一喜一憂してくれる同期はじめ部員の皆さんの温かさがとてもうれしく、いつしかみんなで悔いなくやり切りたいと思えるようになりました。こんなにも標準切りやPB,SB,UBを心から喜べたり、惜しい結果には悔しいと思える仲間がいて、そんなチームに所属できたことが、どんな結果よりも一番の幸せです。関東インカレでは自分はとてもふがいない結果になりましたが、出場・サポートにかかわらず、自分の役割を全うする仲間が本当にかっこよく思えたとともに、この大学で良かったと改めて感じました。
そしてついに4年目の全日本インカレです。2年生でコロナ禍になり、腐りかけたこと、今年の日本選手権前で肉離れしたことなど、辛いことも数えきれないくらいありましたが、ここまで支えられて続けてこれた感謝をレースで表現できればと思います。

最後にお忙しい中、監督、コーチの皆さん、接骨院の先生いつもありがとうございます。
そして、いつも的確かつ厳しいご指摘?をしてくださる巖さん、そんなブロ長のことを「お疲れ」と慰めてくれる啓人、面倒見が良い文哉、みんながいてくれたから、こんな僕でも一応ブロ長できてます。本当にありがとう。全カレは「3人の分」も勝手に背負って戦わせてください。そして玲菜ちゃん、たまりへ。全カレで中長4年のすごいとこ見せよう。

最後まで読んでいただきありがとうございました。
#学大は負けない

中長距離ブロック4年 村手光樹