【部員コラム】第477回 「1258日」

跳躍ブロック4年 外村直之

こんにちは。群馬県高崎市立高崎経済大学附属高等学校出身、E類生涯スポーツコース4年の外村直之と申します。
この度、コラムを書かせていただく貴重な機会をいただき大変光栄に思います。
去年コラムの話をいただいた際に、4年の全日本インカレ前に書かせてほしいと、わがままなお願いを通してくれた広報係の皆さん、ありがとうございます。
長くはなりますが、拙い文章は書きません。読んでいただけると幸いです。

「1258日」
これは2022年9月9日から始まる全日本インカレ、それまでの僕のすべてが詰まった、大学陸上4年間の日数です。

「4年間はあっという間」
2019年4月1日、先輩方が口を揃えて言うその言葉から、僕の大学陸上はスタートしました。気がつけばあっという間に月日は経ち、迎えるほとんどの出来事が「最後」になっていました。
ただ1つだけ、僕の大学陸上において初めてのものがあります。
9月9日から3日間行われる全日本インカレです。

ここからは、今の僕を形作った全日本インカレまでの「1258日」 をいくつかのターニングポイントをもとに、掻い摘んで簡単に紹介させていただきます。

1つ目は、大学陸上の難しさを教えてくれた「挫折の1年目」です。
関東インカレや全日本インカレ、今まで経験したことのない、お祭りのような試合で活躍することを楽しみに、胸を膨らませ東京学芸大学に入学しました。そんな1年目は自己記録から1mほど低い記録で低迷。右足首、左腰の怪我に悩まされ、自転車をまたぐことすら億劫な日もありました。
もがき苦しみ、失敗の連続の日々。目標としていた結果は、何ひとつとして得られず、大学陸上の大きな壁にぶつかりました。陸上人生で初めての大きな挫折。そんな1年目でもある人たちの存在が僕を支え、彼らのお陰で、どんなに辛く苦しくとも、僕の闘志は燃え続けていました。それは、同期の颯馬、龍星、康人の3人です。大学生活のほとんどはこの3人と過ごしてきました。
初めての関東インカレで入賞した龍星、入学早々自己ベストの好スタートを切り、関東インカレも制した颯馬。1年生にして輝きを放つ2人に僕は憧れていました。それと共に目立った成績も残せず、いつまでも足踏みをしている自分がみっともなくて悔しかった。「もっと強くなりたい」心からそう思わせてくれる2人の存在が、僕の闘志を燃やしてくれていました。康人は怪我や不調に悩まされ、僕と似た境遇で日々練習をしていたように思います。「いつか大きな舞台で活躍してやろう」とよくお互いを鼓舞していました。康人との時間は僕にとって大きな心の支えでした。だからこそ、康人の好調は自分の事のように嬉しいのだと思います。
同期の存在が僕を奮い立たせ、どんなに今が絶不調でも、必ずいつか這い上がってやるという闘志を持たせ続けてくれました。今でも彼らは僕の良きライバルであり、心の支えです。
1年目に「強くなりたい」というただただ泥臭く、単純な気持ちを抱いてから、僕は少しずつ考えて陸上競技に向き合うようになりました。

2つ目は、沢山の経験をした「きっかけと変化の2.3年目」です。
コロナウイルスの影響で遅れたシーズンイン、人生初の右足ハムストリングスの肉離れからスタートしました。どうすれば速く走れるのか、どうすればもっと遠くに跳べるのか、ただひたすらにそれだけを考える、陸上づくしの生活でした。怪我からスタートした2年目は、目標としていた全日本インカレに挑戦すらできず、このままじゃダメだと、自分の弱いところに目を向けるきっかけを与えてくれました。
考えながら陸上競技に取り組み、結果に結びつき始めたのは2年目の秋、怪我の復帰戦からでした。少しずつ走りや跳躍に変化が現れてきたのもこの頃です。2年ぶりのPBを更新し、勢いづいたまま迎えた2回目の冬。常に意識した数字は「16m」、同期の土井は「2m20」を目標として掲げ、互いにその数字を意識し合う、充実した冬でした。
迎えた3年目の前半シーズンは関東インカレ2冠、全国初入賞と絶好調で、出来すぎた結果ばかり。全カレも狙える、そう思い気持ちも練習での動きの質も上り調子だった全カレの直前、左足ハムストリングスを肉離れ。これほどの喪失感を味わったことはありませんでした。この神様からの試練は、「もっと突き詰めて考えなきゃいけない」と自分の考えの甘さを痛感させ、陸上競技への向き合い方を改めるきっかけを与えてくれました。この怪我から僕は今年の関東インカレ、全日本インカレを強く意識し始めます。私生活でも頭の片隅には常にインカレへの意識がありました。
「関東インカレ2冠」「全日本インカレ優勝」
この目標はブレることなく、冬場の僕の原動力となっていました。

3つ目は、最後のシーズンとなる「結びの4年目」です。
慎重に準備を進めていた4年のシーズンイン。「同じ失敗は繰り返さない」とあれだけ心に決めたにもかかわらず、関東インカレを目前にし、目標に執着しすぎた結果、 またも右足ハムストリングスを肉離れ。3度目の肉離れ。どれも再発ではないものの、怪我をした瞬間頭が真っ白になり、診断を聞いた瞬間僕の心にぽっかりと穴が空いてしまったようでした。
どうにか関東インカレで1本跳べるように、できる最大限の治療と準備をし、トレマネ、ドクター、家族や仲間の支えがあって、やっとスパイクが履けるようになった試合前日。「行ける」と確信していました。
しかし、アップを終え国立のピットに立った時、ほんの少しの痛みが気になってしまいました。「なんで今なんだろう、大して痛くないはずなのに」「1本だけ持ってくれ」と、痛みをごまかして冷静な判断が出来なくなっていた僕を、同期を始め仲間たちが止めてくれました。悔しくて、やるせない思いが沢山込み上げてきました。ずっと意識してきた試合に挑戦すらできなかった。関東インカレで活躍し、輝いている選手たちからたくさんの感動と刺激をもらいました。怪我からぽっかりと空いた僕の心の穴は、見る人たちを魅了する、学大の選ばれし選手たちのパフォーマンスによって埋め尽くされ、僕は全日本インカレに全てをかけることを誓いました。

振り返ると4年生の現在に至るまで、こんなにも沢山の出来事があったのだなと感じています。関東インカレで国立のピットを去った5月20日から、僕は全日本インカレに向け再スタートを切りました。「最後くらい4年生の皆や後輩たちにかっこいい姿を見せたい 」「恩返しをしたい」と目標をぶらさずここまでやってこれたのは、紛れもなく普段支えてくれている家族や仲間たちのおかげです。
みんなに魅せるパフォーマンスをする準備は出来ています。期待だけして見ていてください。

“今、記録の伸び悩みや怪我で挫折をしている後輩たち”
僕の跳躍・走りをしっかり目に焼き付けておいてください。「今は苦しくても、いつかこうやって輝けるのかな」とみんなが希望を持てるパフォーマンスを僕はします。

“僕が競技に熱中できるように、ずっと支え、応援してくれていた父母、祖父母”
ここまで一番いい色のメダルをかけてあげられたことはないけれど、最後くらいはって張り切っています。感謝の気持ちを込めて全力で全日本インカレを楽しんできます。

“4年間ずっと一緒に戦ってきてくれた4年生のみんな”
みんなと戦える最後の全カレが楽しみで仕方ありません。
「最高のチームだった」「最強の学年だった」
見てくれている人達にそう思わせる競技をしよう。全日本インカレに出場できない選手達、4年間支えてくれた2人のマネージャー、つらい時期を乗り越え跳躍ブロックで4年間を共にした理央、4年生のみんなの思いを背負って、僕は跳び、走ります。

全日本インカレを迎えるにあたり、僕からお願いがあります。
僕が観客席にいるみんなに笑顔を向けたら、とびっきりの笑顔で返してください。手拍子を求めたら手が真っ赤になるまで強く叩き僕に届けてください。「いきます」と叫んだら、声が出せなくても、胸の内で大きな声で返事をしてください。みんなの応援が僕の120%の実力を引き出してくれます。

「結びは笑顔で」
2022年9月11日 大学陸上の「1260日目」
最高で最強のチームが、4年間で1番キラキラした笑顔で笑っていますように。

跳躍ブロック4年 外村直之