第503回「大学陸上という”沼”」

失礼します。埼玉県私立昌平高等学校出身、男子跳躍ブロック4年の中村拓翔と申します。この度、コラムを書く貴重な機会を頂き、大変光栄に思います。普段自語りをしない分、今回のコラムは思いのほか長くなってしまいましたので、この後にご予定を控えている方は遅刻の覚悟をしつつ読破していただけたら幸いです。

 

さて、皆さんは”沼”という言葉にどのようなイメージを抱くでしょうか。一般的には足を取られて抜け出せない、厄介なイメージで使われることが多いかもしれません。また、最近では好きなものに熱中することを「”沼”にハマる」と表現する用法も見られます。自分にとっての4年間の大学陸上生活、それはまさに”沼”でした。これはただ単に困難の日々を形容するだけの言葉ではありません。一度足を踏み入れたら想像以上に奥深く、その魅力から抜け出せない大学陸上の世界を表す言葉でもあります。

 

「全日本インカレ入賞」

これは、僕が入学時に掲げた大学陸上の目標です。正直、当時は全カレにそこまで強い想いがあったわけではありません。高校時代の最高成績はインターハイ出場。それに準ずる全国規模の大会で「次は入賞を目標にしてみよう」というような軽い気持ちだったと思います。しかし大学陸上の世界に足を踏み入れた瞬間、その認識は一変しました。各校のプライドをかけた熱戦と熱い声援、お祭りのように盛り上がった会場に圧倒され、インカレという舞台がいかに大学陸上にとって大事な舞台であるか思い知らされました。ただ、このインカレをはじめとする対校戦の存在は、僕が大学陸上という魅力の沼に没入していったきっかけでもあります。この学大陸上部を背負って対校戦に出場し、点数を持って帰りたい。その想いが四年間の原動力となっていました。

その想いの一方で、1・2年時は競技面で泥沼に陥っていました。自由度の高い練習環境と、その環境下で記録という数字によって評価が下される個人の責任の重さに戸惑い、自分の跳躍を見失うことが多々ありました。関カレ・全カレには出場できず、その他の対校戦の貢献度も低いという歯がゆいシーズンを過ごしました。ただ、そんな時期には同じようにもがき苦しみ葛藤しながら泥沼の中を進もうとする同期や後輩、跳躍ブロックのメンバーの姿が励みになりました。大怪我をしても、長期間試合に出られなくても、かつての輝かしい自分が重荷となっても、それでもなお努力する皆の姿に何度も刺激を受け、奮い立たされました。

勝負の年として迎えた3年時は、初の関東インカレの舞台で1部昇格に貢献することができました。学大の熱い声援と手厚いサポートを受け、出場者側として初めてインカレを肌で感じた時の高揚感は忘れられません。その後、冬に受傷した膝蓋腱炎などの影響で万全な状態で挑めなかった4年目は関カレ・全カレへの出場が叶いませんでした。それでも、標準切り期間に最高学年・ブロック長として意地のベスト更新を果たせたことは結果以上に大きな意味がありました。うまくいかないことも多かった中で、それでも自分の競技と向き合い続けた証として、胸を張れる瞬間でした。ブロックを引っ張る立場として、記録以上に「姿勢」で示すべきものがあると信じていたからこそ、最後に形として残せたことは大きな自信になりました。

 

一度足を踏み入れたら最後、簡単には抜け出せない魅力的な世界。時には泥沼の底で苦しみ、時には想像もしなかった高みに押し上げられ、そしてまた深みに沈む。振り返ると、この4年間は浮き沈みの連続でした。しかし、その浮き沈みがあったからこそ、見えた景色、掴めた感情がありました。自分を形作る貴重な経験をさせてくれた大学陸上には感謝しかありません。

もし今、思うようにいかずに沈んでいる人がいたら、その経験が必ず自分だけの価値になる日が来ると、僕は伝えたいです。沈んでいるその場所にこそ、他の誰にも持ち得ない景色と、そこでしか得られない強さがある。そんなことをこの4年間が教えてくれました。