第486回「決めるということ」

失礼します。埼玉県立浦和第一女子高等学校出身、A類保健体育2年の安藤珠希です。文章に気持ちを表すのは上手ではないですが、読んでくださると幸いです。

唐突ですが、私は去年のシーズンが終わったあと、もともといた混成ブロックから投擲ブロックへとブロックを移動しました。そんなときに自分の番が回ってきたということは何かの縁だと思い、今回はそのときに考えたことについて話したいと思います。

私は、決断をするのが苦手でした。進路を決めるとき、入る部活を決めるとき、ごはんを食べに行ったときに何を食べるかまで、様々なことを決めるときにいつも「これ選んだらどう思うかな」「あっちのほうが良かったと後悔しそうだなあ」などのようにいつも悩んでしまっていました。そんな私の優柔不断さをましにしてくれたのは、私の高校の時の顧問の先生が卒業するときに言ってくれた、「どんな決断も大事なのは、決断をしたあとにその決断を良かったものに自分ができるかどうか」という言葉です。この言葉を聞いて私ははっとしました。決断したことが良かったかどうかなんて神のみぞ知る、決断をするということは、他の選択肢を捨てて一つを選ぶということで後ろめたいことだけれど、決断をしたあとの自分によってその決断の良し悪しが決まるという意味が隠されているということに気づきました。その日から、私は日々の小さなことから素早く決断し、その後良かった決断だったと思えるように行動しようと考えるようになりました。

ここまでは、いい感じに優柔不断が解消されているような文章になっていますが、先ほど「ましに」なったと書いてあるように、まだまだ悩んでしまうことはたくさんあります。その中で大きな決断となったのが、今回のブロックを移動することです。このことは私にとってとても大きな決断でした。「移動して成績がでなかったら」「うまくなじめるか」など様々なことを考え悩んでしまいました。そこで今回頼ったのは、家族、友達の存在です。周りの人達に相談し自分の気持ちを話しました。そこでみんなが後押ししてくれました。そして最終的には私が決断をしました。ここから新たに思ったことは、決断に悩んだら周りの人に相談し納得がいくまで考えるということも大切だということです。それまでは決断は早くしたほうが良いとばかり考えていましたが、しっかりと考え抜くということも大事だと感じました。これは優柔不断とは違い、慎重に根気強く熟考することができる、そんな力だと思います。ネガティブな意味として捉えられている優柔不断という言葉も、見方を変えてみるとポジティブな意味に変えることもできると気づき、言葉の意味は表裏一体ということを実感しました。

ここまでつらつらと私の優柔不断さについて書いてきましたが、最初のほうで言ったように決断をしたからにはあとはその決断を良かったものにするだけです。これからはそのことだけを考え前進していきたいです。
今シーズンの目標はずばり結果を出すこと。
今年こそ。
最後まで読んでくださりありがとうございました。