【部員コラム】No.371~380

『自分が好きな自分になれ』

こんにちは!兵庫県立三田祥雲館高等学校出身、B類保健体育専攻1年の藤野茜です。女子跳躍ブロックに所属させていただいています。走り幅跳び専門です。     
私はこの関東地方というレベルの高い地で陸上競技をするために兵庫から上京しました。東京に来て半年が過ぎ、ようやく少しずつこちらの生活に慣れてきたところで、この半年の自分自身を振り返ってみると、「何にも成長してへんやん。」と思いました。自分でメニュー組んで練習するのが初めてで最初は何したらいいんかわからへんかったし、不注意による怪我のせいで全然練習出来へんし。何のために東京に来たんやろって悩んだ時期もありました。正直自分の中で陸上に対する気持ちが薄れているような気がしました。そんな弱気な自分が嫌で嫌で仕方がなかったです。     
また、高校2年のときの”インターハイ優勝”が私にとって大きな壁となり余計なプレッシャーを感じてしまう時期もありました。過去にとらわれるな、過去は過去。と思うようにはしていますが、やはり心の中の奥底では、なんであの時は跳べたのに今は跳べへんのやろ。と過去の自分と比べてしまいます。比べても意味ないのに、比べて、なんでやねん 全然あかんやんって落ち込んで。の繰り返しです。まったくどんだけネガティブなんやろ。こんな自分も嫌いでした。     

私は今年の1月に父親を亡くしました。昔からずっと私のことを一番近くで応援してくれていた父親がいなくなってしまい、いろんなことを投げ出したくなりました。逃げたくなりました。やけど、父親が応援してくれていた陸上を、今こんな気持ちのまま続けていいのか。お父さんのためにもちゃんと自分の跳躍をして、全国の舞台でもう一度表彰台に乗らんとあかんやん。って思いました。父親のおかげでそう思うことができました。本気で陸上と向き合えていないこんな弱気な私をみても、絶対父親は喜ばない。父親だけでなく、兵庫で応援してくれている家族にも吉報を届けたいと強く感じました。     

まずは自分のことが好きな自分になりたい。     

自分を好きになって、陸上が大好きやったころの自分になって、自分の跳躍を取り戻したいです。     
来シーズンを笑って終えられるように、3.4年で花を咲かせられるように、これから始まる冬季練習を同期や先輩たちの刺激を受けながら全力で頑張っていきたいと思います。全力で陸上をして全力で楽しんで全力で笑う。応援してくれている家族のために、強い自分になります。
2015年11月17日 藤野 茜

『苦しい方を選べ』

こんにちは!敦賀高校出身G類生涯スポーツ専攻2年の羽鳥遥です。女子短距離ブロックに所属させていただいていて100mHを専門にしています。よろしくお願いします。     

2年後の全カレが私の地元の福井県で開催されることになりました。2年後は私は4年生で、たぶん競技人生最後の年です。私ははっきり言って弱い選手で、今は全カレに出場するのはかなり難しい状態です。やけど絶対に強くなって、いつも応援してくれてる家族やお世話になってきた福井県の先生方の前で、思い入れの強い大好きな福井の競技場で、全カレでトップの選手と勝負する姿を見てもらいたいって思っています。私は自分に甘くて、メンタルも弱くて、足りないものばかりです。最後の年の全カレが福井で開催されることが決まったのは、また1つ私にとって刺激になりました。私はいつもヘラヘラで甘っちょろい自分が好きじゃないです。もっと自分に厳しくなって、ちゃんと自分の課題としっかり向き合って、苦手な練習もこなすだけじゃなくちゃんと考えて前向きに取り組めるようになります。弱い自分とさよならして、結果もだして、地元の人たちにかっこいい姿見てもらって、変わったなって思ってもらうのが1番の目標です。これから冬季で苦手な練習がいっぱい増えると思いますが、毎日元気に前向きに頑張るのでよろしくお願いします!     

文章へたくそであんまりまとまらなかったですが、これで終わります。     

ありがとうございました!
2015年10月30日 羽鳥 遥

『覚悟』

こんにちは。A類国際教育選修2年、短距離男子ブロックの小嶋遼世です。400mが専門種目です。     
 25大学対抗戦も終わり、まもなく冬季練習が始まります。そこで冬季を前に今シーズンを振り返り、今後の決意を書きたいと思います。     
 今シーズンは400mで自己ベストを更新できたものの、反省点や課題が多く、陸上に対する姿勢の甘さに気づかされました。特にマイルを含めいろいろな大会に出場した際には、メンタル面も含めたあらゆる点で力の差を痛感した場面がありました。最大スピードの差が何より大きな課題でした。他にも多くの課題がありますが、冬季は1つ1つじっくりと達成していく大きなチャンスです。だからこそ、一本一本集中力を高めて練習に臨むのはもちろんのこと、トレーニング論など陸上競技についてもっと学び自分の力を伸ばしていくために必要なことを客観的に捉えられるようになりたいと思います。     
 来シーズンの目標は関東インカレ入賞と全日本インカレ標準(47“50)切りです。自分の今のレベルでは明らかに、容易なものではありません。しかし自分を信じ覚悟を持って冬季に臨み、この目標に挑戦していきます。今までの弱さを捨て、意識を変えて、勝負してやるんだとの思いで日々を過ごしていきたいと思います。今はこれから自分がどのレベルまでいけるか挑戦できることにワクワクしています。気持ちがめげそうになっても覚悟とこのワクワクを忘れずに走っていきます。そして成長した姿で自信を持って来シーズンを迎えたいと思います!
2015年10月23日 小嶋 遼世

『まだ走れる』

大学院教育学研究科保健体育専攻1年、天野祥希です。今回コラムを書かせていただけるとのことで、自分の陸上に対する思いを述べたいと思います。まずは軽く自己紹介から。     
私は、韮山高校、新潟大学を経て4月からこの大学の大学院に入学しました。新潟のイメージが強いですが静岡出身です!専門種目は400mとマイルリレーで、特にマイルリレーには誰よりも強い思いとこだわりを持っています。今後ともよろしくお願いします。     

さて、本題に移ります。小学校4年生から始めた陸上競技を通して多くのことを経験してきましたが、今シーズン特に強く思っていたことがあります。それが題名にもあるように「まだ走れる」ということです。     

大学院1年ともなると多くの同期や先輩は陸上競技を引退してしまいます。環境も変わり、互いに競ってきた仲間の多くは引退し社会に出て行き、今までの活力となっていたものが少なくなっていく中で、自分が陸上を続けていることに対して迷いが生じ、余計なことをたくさん考えて練習に身の入らない時期がありました。     

そんな中、同期や先輩に試合の結果を報告したり、陸上の話をしたりすると帰ってくる言葉は、「現役で走れていることがうらやましい」、「まだ走れるのだからがんばれ」、「また走っている姿を見たい」といったようなものでした。さらに、大きなケガで手術をしても現役復帰は厳しく競技を続けることを断念した後輩が居たり、競技を離れ、自分の将来に向かって進んでいった仲間を送り出したりといった場面が続きました。     

そこで、自分が今、競技を続けて走っていることに対してもっと大切に思わなければいけない、決してその引退していった人、走りたくても走れない人の為にといったことではなく、シンプルに自分はまだ走れるのだから余計なことを考えないでひたすら強くなるために頑張ろうと思えるようになりました。     

選手として自分が走れる時間もだいぶ少なくなってきました。ラストシーズンに向けて覚悟を決めて冬期練習に臨むつもりです。それでも長い冬期、気持ちが揺らいでしまうことがあると思います。その時は、「まだ走れる」と自分に言い聞かせ、走っていきます。
2015年10月15日 天野 祥希

『悔しさを糧に』

こんにちは!太田女子高校出身、B類保健体育1年、投混ブロックの平石風歩です。やり投げを専門としています。     
私は7月に48m19を投げて全カレB標準を突破し、全カレに出場しました。結果は44m30で35人中29位。自己記録にも全く及ばず、不甲斐ない結果となってしまいました。     
予選通過記録は51m決勝進出ラインは50m。全国では50mを投げないと勝負にならないこと、自分のレベルと大学トップのレベルの差を突きつけられました。今年は1年生二人が決勝に進んでいます。全カレ前は「1年で出られて良かった、良い経験だ」と思っていましたが、そう思っている時点で気持ちの面で負けていたと今更ながら感じます。     
また、9月21~23日に行われた関東新人では、46m02で7位でした。この大会には高校からのライバルが多く出場していて、私は1年の中では5番目。同世代のライバルが記録を伸ばしているのに、なかなか50mの壁を破れない自分をもどかしく思います。     

思い返せば、これまで私は全中やインターハイなど色々な舞台を経験してきましたが、いつもあと一歩というところで決勝進出、入賞を逃してきました。     
今一度、自分の投げや練習への意識、普段の生活を見直さなければ、私はまた大学でも悔しい思いをするでしょう。     

強い選手、全国で活躍する選手になるためにも、日々「それは本当に自分のためになるのか?逃げてはいないか?」と自問し、真摯にやり投げと向き合っていきたいです。
2015年10月7日 平石 風歩

『コンマ数秒』

こんにちは韮山高校出身E類生涯スポーツコース1年中長距離ブロック青山福泉です
皆さんはコンマ数秒、または数センチで悔しい思いをしたことはありますか。この題名は、私が主要な大会で優勝または入賞を逃したときのタイム差です。
長距離、ましてや競歩となるとコンマ数秒で決着が着くのは珍しいと思いますが私は2回も経験し、どちらも負けています。
レース直後はやり切った、今回これ以上はないと思うのですが、少し経つと練習や食事のことなどレース前のことや仕掛けどころなどレース中のことについて、こうすればよかったのではないか?ここで出ていれば良かったのでは?と引きずってしまうこともありました。

今回このコラムを書かせて頂くということで、2つのレースを思い返してみると、やはりレース直後に感じた通りやれるだけのことはやって臨めたレースだったのではないかと思います。ただ、私に足りなかったことは、練習の際に目の前にはいないチーム外の選手の事を想像して練習をすることだと思います。なぜかと言うと、私が負けた理由は、他の選手がどれだけの力を付けて大会に臨んでくるかを測り間違えた事にあると思い、常に他の選手を意識することで、さらに緊張感をもった練習ができるのではと考えました。

大学に進学して1年目の夏、初めからアクセル全開で!!飛躍のシーズンにしたいと思います。まずは目前の9月に行われる全日本インカレに向けてがんばりますのでよろしくお願いします!
2015年9月19日 青山 福泉

『悔しい!は挑戦したい気持ち』

こんにちは!神奈川県立藤沢西高等学校出身、A類保健体育選修2年跳躍ブロックの田中里実です。走高跳を専門に競技しています。

私が走高跳を始めた理由は小学校の体育の授業で始めて高跳びをした時、「めっちゃ楽しい!!もっと高く跳びたい!」と思ったからです。こんな理由で始めた高跳び生活も今年で8年目に突入です、わーお。

そんな楽しい走高跳にも辛い一面があります。
それは、最後は失敗して終わるところです。記録が悪いとか、怪我をするとかではないです。
最後にチャレンジした高さを3回とも失敗して競技を終えます(たまに満足して試技放棄する選手もいますが。)
そのため、ベストを出しても、優勝ができても最後に失敗して競技を終えます。

だからこそ、私はいつもどんなに記録が良くても競技が終わった後こう思います。「跳べなかった。悔しい。」そして、「次は絶対に跳んでやる!!!」と。その無限ループです。

でも、「悔しい!」って思えるのは、また挑戦したいって気持があると同時に、私にとって走高跳が楽しくて楽しくてたまらない競技で、そんな走高跳が大好きなんだなぁ~て思います。
それに、今までできなくて悔しかったことができた時は、嬉しすぎてニヤニヤがとまらないです。

そういえば、このコラムを書いてて思い出したことがあります。
私が”東京学芸大学で競技を続ける”ことを選んだ理由、それは今までで一番悔しかった時に、私に挑戦するチャンスを与えてくれたからです。
高校3年生のインターハイで予選通過記録を跳べず、泣きながら帰ろうとした私に学芸大の先輩が声をかけてくださいました。数日後に資料を見て「この大学は私にチャンスをくれようとしてるんだ、なら東京学芸大学で頑張ってみよう!」と思い、受験を決心しました。

現在、東京学芸大陸上競技部で高跳びの愉快な仲間たちと(ときどき混成のみなさんと)もっと高く跳ぶために、日々練習&研究し合っています。今は伸び悩んでいますが、悔しいと思う気持が途切れない限り、私の挑戦は終わりません。

もっと高く、もっと上に。

挑戦者であれ!!
2015年6月29日 田中 里実

『東京高校出身者座談会―負けん気東京』

部員コラムインタビュー記事は今回で第5回目を迎えました。今回は前回の白梅学園出身の4選手の座談会に対抗して、現在部内に4名在籍している東京高校の出身者の4名による座談会です。短距離女子の西野愛梨さん(M2)、短距離男子の高畠匠さん(4年)、内川佳祐さん(2年)、坂本景さん(2年)の4選手です。(以下敬称略)

―白梅4人組に対抗しての座談会形式ということでよろしくお願いします。
4人「よろしくお願いします!」

―それではまず、前回の白梅座談会に習って他者紹介をお願いします。それでは、坂本→西野、西野→内川、内川→高畠、高畠→坂本の順番でお願いします。
坂本「愛梨先輩はみんな長老と呼んでいるんですけど、歳は全然離れていないような感じです。とても身近で頼りがいがある先輩です。何より凄いと思うのは、100mHと400mHを2種目ともこなすところです。2種目とも全国レベルで入賞もしていて、ハードル2種目を普通にこなしているのが凄いです。(笑)持ち前の明るさと、真顔が笑顔でもあるように笑顔が何よりもチャームポイントです。」
西野「いまおにぎりを食べている内川君ですが、高校時代に学年は被っていなかったので、直接の関わりはありませんでした。関わる前まではとてもクールな印象でしたが、学芸を受けるってなって関わるようになってからは、内側にケビン(坂本)と同じ匂いを感じています。(笑)そういった一面はまだ見れてないけど。(笑)でも、競技も一生懸命でマジメとふざけるの切り替えがうまいと思います。」
内川「高畠先輩は世界ユースにも出て憧れだったんですけど、食べ物の好き嫌いが酷かったのが衝撃でした。」
<一同爆笑>
内川「一緒にすき家に行ったときも玉ねぎとかめっちゃ誰かにあげたりしてました。でも、時折見せるトッパーへの思いやこだわりから、自分も刺激をもらってます。」
高畠「赤羽だからね。高校時代近かったし。」
(中略)
高畠「ケビンは俺と一緒でふざけてるけど、練習に対する意欲は高い。考えて練習できているし、自分の特徴をよく捉えているなと思う。やるときはやる、やらないときはやらない(笑)っていう感じで切り替え早い。高校時代の俺の影響も大きいと思う。いまは伸び悩んでいますが、スーパーアスリートってことで何かしらの爪痕は残してくれると思います。」
坂本「めっちゃプレッシャー(笑)」
西野「大丈夫、3,4年で伸びるから。」

―皆さん、愛梨さんのことが大好きな印象を受けます。
3人「大好き!愛してる!結婚したい。」
西野「たまにむかつくけど、かわいいと思います。弟みたいな感じ。」
高畠「何歳差ですか?いま27歳くらいですか?」
西野「そんないってないわ!(笑)東京高校のBBA(ババア)ということで!(笑)」

―どうして学芸大学を志望したのですか?
西野「いくつかある。まず、強かった先輩が学芸を受けていて、単純に強いイメージを持った。その後に高2?のときの国体で学芸のヨンパーの北島さんっていう先輩から話しを聞いて。速いし、先生にもなれる。それからそのときのトレーナーさんが仁さん(中村仁コーチ)で学芸を勧められました。それから見に来たりして、とてもホンワカした雰囲気で、先生にもなりたかったし高校にも帰れる距離が良かったので学芸にしました。あと繁田先生の存在も大きかったです。」
高畠「愛梨さんという知ってる先輩がいるのがまず大きかった。あと国立大っていうのも大きい。頭(勉強)では絶対いけないけど、教員免許が取れるっていうのもあります。愛梨さんがいることで高校時代に色々聞けたことと先生からの勧めもあって、学芸大学にしました。」
坂本「匠さんと同じで尊敬する先輩がいることが大きかったです。高校のコーチにも学芸を勧められました。他の大学も考えていたのですが、インターハイの決勝終了後に匠さんからの「これで学芸決まったな(笑)」と超速報が入って、やっぱり先輩と自分らしくやりたいと思って学芸にしました。あとついでに家が近いというのもあります。(笑)」
内川「僕も先輩のつながりっていうのはありました。でも高1の頃から教員志望でもあって、国立大を受けたいっていう気持ちがありました。真剣に考えて、早い段階で学芸にしました。でも正直かなり迷いましたし、インターハイで入賞できなくて学芸はほぼ諦めましたが、最終的に合格できて良かったです。」

―高校時代でも活躍された皆さんですが、入学後のモチベーション維持で工夫されていることはありますか?
西野「高校とのギャップに苦しめられたこともありましたが、ある人に「自分で選んだんだから、自分で頑張れ」と言われたのをきっかけに、どんな環境でもやれるというところを見せたくて、頑張れた。あとは高校の先生を喜ばせたいということもありました。」
高畠「常に考えているのは高校の先生に恩返しがしたいというのが一番。インターハイの時に上位入賞は確実で、大事な決勝でものすごい失敗して、本当に悔いが残ってるかな。絶対先生にメダルをかけたいと思ってて、それが叶わずに卒業してしまったので、いつかその夢を叶えるために自分のモチベーションを維持してるかな。あともう一つは自分の変化を楽しむこと。自分が変化してることを楽しんで、それを競技に活かしていくことを楽しむことです。」
西野「めっちゃかっこいいじゃん!(笑)」
<一同爆笑>
坂本「陸上競技は結果が見られる競技で、僕が大学に入ってから世界ジュニアが半母国のアメリカであって、普段見せられない親戚の前で走れると思って世界ジュニアのことだけを考えてました。結果的に出場できなくて、すごい落ち込んでしまいました。その後はケガもあって、1年目はすごくモチベーションが低くなってしまいました。そこで高校のコーチが「結果がすべてではない。」って高校時代から言っていたのを思い出しました。知らない人は結果しかみないけど、結局は結果以外の部分が一番大事で、それがアスリートにとって一番大事。そういってもらえるコーチに恩返しをしたいってのがあります。」
内川「3人みたいに一気に成長はしていなくて、結果に結びついていないのが悔しかったです。大学でもう一回花を咲かせて、恩返しというか胸を張って、(先生に)報告ができるようにすることを考えています。」
高畠「お前、(インタビューの答え)考えてきただろ!(笑)」
内川「考えてないですよ!(笑)」
<一同爆笑>

―白梅の皆さんにもお聞きしたのですが、競技をする上で最も大切にしていることや意識していることはなんですか?
内川「自分が信じた事をまずやってみること。人から言われてではなく、自分で考えてやってみたらまた次の課題が見える。その繰り返しをシンプルに続けていくことが良い方向になるんじゃないかと考えています。」
高畠「お前、絶対考えてきただろ!(笑)」
西野「いきなりぱっとこんなの言えないよ(笑)」
内川「いや、常に考えてるんですよ!」
(中略)
坂本「僕はしっかりとやりたいことを感じるっていうこと。どこの部位を使ってどう走るとか、それを練習で変えてみたらどうなるのかとか。最近は感覚を意識して練習しています。それを染み込ませて、試合ではただ落ち着いて力まずにレースをすることだけを考えています。」
高畠「常に勝つことを意識してる。勝つイメージを常に持って、レースや練習をしている。それが結果につながって、恩返しといったところにも繋がると思うから、常に勝つ心を持っていたい。」
西野「 2つあって、 1つは先生はもちろん、支えてくれてる親とか周りの人に喜んでもらうこと。喜んでもらいたいから、練習頑張るぞ!って思える。もう1つは楽しむこと。日々の練習の中での感覚の変化とか、試合でのライバルとの競り合いとか…ちょっとしたことを楽しんで競技をしていくことかな。そうしないとここまで続けられてないし(笑)」
―毎日ハッピーライフですね。(笑)
西野「ハッピーBBAって書いておいて。(笑)

―皆さんが考える東京高校出身者らしさとは?
(Tシャツを取り出して)
高畠・内川「こちらの「負けん気東京」となっております!」

―今シーズン、これからの残りのシーズンの最大目標をお願いします。
西野「自己ベスト更新と全カレ優勝!それから、日本選手権上位入賞!」
高畠「今シーズンずっと目標にしている日本選手権で決勝に残ることと、全カレの決勝で戦うこと。」
内川「自己ベスト更新ですかね。」
坂本「自己ベスト更新。」

―それでは、最後に一言お願いします。
西野「じゃあ一番言葉のうまいうっちー!」
内川「えっ!?」
西野「さすがに考えてきたでしょ?(笑)
内川「いや、考えてないですよ(笑)」
高畠「東京高校はバカバカ言われるけど、実はものすごいIQが高い人たちで、高すぎて逆に頭悪くなってるという。陸上偏差値は180くらい。」
―偏差値で180という値はありません…
<一同爆笑>
高畠「今のはカットで!(笑)陸上偏差値は75くらいだと思う!(笑)」

◇編集後記
白梅とはまた違った雰囲気の座談会でした。競技に対する真摯な姿勢と、一言一言に重みとアスリートとしての気質を強く感じました。近日には日本選手権もあり、東京高校出身者の活躍に期待です。

(聞き手・編集:HP係4年 片井 雅也)
2015年6月24日 西野 愛梨 高畠 匠 内川 佳祐 坂本 景

『棒高跳』

こんにちは!2年A類保健体育選修跳躍ブロックに所属しています、加賀見一輝です。専門種目は棒高跳です。     

さて、皆さんは棒高跳と聞いてどんな印象を持つでしょうか?おそらく多くの人は施設の関係であまり親しみが無い、危ない競技だ、といったようなあまりイメージの良くない印象があると思います。確かに、同じ垂直種目の走高跳と違い、棒高跳はグラスファイバー製のポールを使い、走高跳以上の高さで勝負が繰り広げられるのでとても危険です。     
しかし、棒高跳の楽しさというものはここにあると思います。まず、助走から伝わる緊張感、通常では絶対に届かない高さにあるバーに向かって体が空中に向かっていく高揚感、バーを越えた時の快感、どの競技よりも高い位置での空中戦、これは棒高跳でしか味わえません。     

とはいっても私自身、今の状態を考えるとお世辞にもこの魅力を伝えられる選手ではありません。他の選手と比べると明らかに技術が劣っています。棒高跳の技術に関して無知でした。このままではとてもじゃないけど記録なんて出るはずない。そう思い、まず私は世界で活躍する選手の跳躍と自分の跳躍を比べ、どの部分がどのように違うのか考えるところから始め、他校の練習に参加したり、棒高跳には器械運動の要素が必要となるので、体操部の練習に参加させていただいたり、そこから学んだことを普段の練習に取り入れました。     
その日の練習の目標を定め、ポイントを絞り、更に改善を加える。弱い部分があれば補強で強化する。何よりも自分の大好きな競技である棒高跳を誰よりも楽しんで練習する!この、楽しみながら跳躍するということは練習していく上で一番大切であると思います。     

上記のように現在の力では棒高跳の魅力を伝えることは難しいです。ですが、このまま楽しさを伝えられず、自分の目標を達成できないままの情けない選手として終わるつもりなんて微塵もありません。     

今まで書いた拙い文章をまとめると、陸上競技をしている誰もが、自分の種目の魅力に取りつかれて練習しています。ですがいくら楽しかったって誰しも必ず何かしらの壁にぶち当たります。その時には自分が選んだ種目の原点に戻ってみましょう。そうすればもう一度楽しむことを思い出し、努力を続けていくことができるはずです。練習を楽しんだ上に記録まで付いてくると考えるとそれだけでワクワクしませんか?そんな心意気で棒高跳を楽しむ気持ちは忘れずにやっていきます。
2015年5月7日 加賀見 一輝

『つながり』

こんにちは。
長野県上田市出身生涯スポーツ4年混成ブロックの小宮山彦毅です。

まず、決して甘くなかった茨の道の大学生活を振り返ると、
1年生の頃は長野県人寮の伝統生活とバイトに阻まれほぼ部活はできませんでした。もちろん秋にボイコットして退寮しました。また超貧乏で仕送りもあるはずもなかったのでバイトを最大で3つほど掛け持ちしており、夜勤明けで十種に出たこともありました。
2年生の頃はようやくバイトにも阻まれることなく有意義に部活ができるようになりました。
3年生には日本選手権混成に地元枠で出場しました。が、その試合の棒高跳で開放骨折をしました。これが人生初の骨折。腓骨2箇所脛骨1箇所と、完全に折れており、もうちょっとで脚ちぎれてたの?と思うほど今は怖いです。折った時は恥ずかしさのあまり痛みをあまり感じませんでした。もちろん翌朝目覚めた時は号泣しました。
半年で復活すると宣言したくせにもう1年経つんだなと思うと、回復力遅過ぎです。開放骨折は1年かかると言われてるけど、まさか関カレに間に合わないとは思いませんでした。マイルにすら出られないので、なにしてんだとも言われると思いますが、本当にその通りです。
そんな内容の薄い大学生活を過ごしてきました。

ここで話を変えて、あるゲームで例え話をします。
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自分で考えて冒険する(行動する)ということは、レベルアップへの経験値を積んでいるということです。日々の生活習慣が悪いと毒沼に浸っておりHP(体力)がどんどん削られていきます。逆に規則正しい生活をしていると朝のHPは完全回復しています。私は朝からHPが満タンではない中、冒険をしてしまっていたので、呪いを浄化するのが遅れたのだと思います。(ここでいう呪いとは骨折のことです。)
ただ経験値だけ積んでHPは全回復しないまま冒険しているので、体調を崩しレベルが下がる。これじゃあ意味ありません。
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ドラクエで例えましたが、練習して体力消耗したら夜遅くまで起きていない、早く寝て回復させる。この規則正しい生活が大事だ!とドラクエをやったら気付きます。
このように役立たないと思っているようなゲームやアニメ、その他でもこうやって考えさせられることはあるのです。
何をするにも無駄なことはないと思います。何よりも思考を張り巡らせてことが大事です。そこから生まれる「つながり」は気持ちが良いです。
関東インカレまで残り少ないですが、無理をせず、怪我をせず、焦らずやっていきましょう。
さよなら。
2015年5月3日 小宮山 彦毅