第484回「私は出会いに恵まれている」

失礼致します。

法政大学第二高等学校出身、B類保健体育専攻3年の山野邊真佑と申します。現在、混成ブロックに所属し、七種競技を専門としています。

私にとって13回目の冬季が始まって2ヶ月程経ちますが、踵の骨挫傷から復帰し、やっと最近RUNメニューが出来るようになりました。こんな感じで、そろそろ怪我と親友になってしまいそうな程、怪我をしてきた私ですが、この度、コラムを書かせていただくことになったので、困難と出会いに溢れた私の陸上人生を少しお話させていただけたらと思います。

長くなりますが、最後まで読んでいただけたら幸いです。

私は、小学校2年生の時に姉の試合の応援に行ったことがきっかけで陸上競技に出会いました。「あの大きな競技場でかっこいいスパイクを履いて走りたい」そう思って目を輝かせたことを今でも覚えています。紹介していただいて入った陸上チームで、たくさんの素晴らしい先生、コーチに出会い、陸上競技が大好きになりました。

中学では、チームと部活の両方に所属していました。「365日24時間陸上」「謙虚さと慢心は紙一重」などちょっと名言好きな恩師と出会い、陸上への向き合い方や人としての在り方を教わりました。また、半年間シンスプリントに悩まされていた時に、一瞬で治してくれた接骨院の先生は、診療時間外でも治療をしてくださり、何度も助けられました。

100mを専門としていましたが、中2の秋に四種競技に出会いました。「色々な種目に出られてかっこいい」と思い、虜になりました。ひょんなことで出会えたハードルのコーチのおかげで記録は一気に伸びていましたが、中3の5月に試練が訪れました。

距骨の骨挫傷、腰椎分離などぼろぼろの状態で8月の全中を迎え、初めて試合に出たくないと思いました。そんな時に支えてくれたのが、付きっきりで指導をしてくれてきたコーチの「神様は越えられない試練を与えない」という言葉でした。

また、この怪我が引き寄せてくれたのは下山田先生との出会いです。ハードルのコーチからの紹介で、下山田先生と出会い、その後、下山田先生のおかげで学大に進むきっかけにもなっています。

そして、設備に感動して法政二高への進学を決め、陸上について語り合える仲間に出会いました。陸上に打ち込んでいた最中、高3の時にコロナウイルスが流行し、当たり前にできていたことができなくなりました。インターハイがなくなるかもしれないという状況に直面しましたが、それでも落ち込むことは一切なく、「必要な試練」だと、練習を続けることができました。急遽、代替大会の開催が決まった頃、私は椎間板ヘルニアで練習ができず、試合にも出られる状態ではありませんでしたが、例年とは異なり、標準記録だったため、全国の舞台で最初で最後の七種競技をすることはできました。しかし、中学同様に思うように競技ができず、悔しさと共に改めて大学こそはという強い気持ちが芽生えました。

そして、いよいよ大学陸上。入学直前に再び距骨の骨挫傷で怪我スタートでしたが、中学生の時から憧れだったこのかさんと出会い、素敵なOG、OB、先輩、仲間に囲まれて、気合い十分でした。しかし、大2の4月、標準切り1週間前の恥骨の疲労骨折から悪夢が始まりました。その後も両足の大腿骨の疲労骨折や肉離れ、そしてとどめを刺すかのように大学3年生に脾腫で2ヶ月の運動禁止。進もうとするのに、何度も壁にぶつかって進めない時間が続きました。それでも陸上を辞めたいと思ったことは一度もありませんでした。

それは陸上が大好きで、私以上に私のことを信じて支えてくれる家族、コーチ、仲間がいるからです。

やっと進み始めた今、10年前に出会った陸上コーチと再会したり、新たなトレーニングコーチに出会ったり、私の背中を押してくれる出会いに溢れています。

やっぱり、私は出会いに恵まれている。

ここには書ききれないたくさんの素敵な出会いに支えられている。

だから、何度でも立ち上がれる。

小学生から続けてきた陸上人生、このままで終わらせるつもりはありません。

14年目のシーズン、私を支えてくれている人、私と出会ってくれた素敵な人達へ最高の舞台で最高の笑顔で「ありがとう」を伝えたい。

この試練を乗り越えた先に見る景色が楽しみです。