【部員コラム】第461回「私が陸上をする理由」

 失礼します。私立成田高校出身、B類保健体育専攻4年の清野涼々花と申します。現在女子跳躍ブロックに所属しており、走幅跳を専門としています。拙い文章で大変恐縮ですが、今回コラムを書く機会を頂いたので、私が何度も疑問に思った陸上を続ける理由について綴らせていただきます。
 私の性格は、熱しやすく冷めやすく飽きっぽいという言葉がぴったりな人間です。そんな私が陸上を本格的に始めたのは中学1年生の頃なので、今年で10年目になります。こんなに長い期間1つのことを毎日のように打ち込めているのは、奇跡に近いと思っています。中学校から高校までは、顧問の先生方や環境に恵まれ順調に成績を残すことができ、「試合に勝ちたい」「記録を伸ばしたい」「周りの人に褒めてもらいたい」という思いで陸上をしていました。認められたいという気持ちが大きかったと思います。
 大学では教師になりたいという夢と陸上でも更なる高みを目指すことができるため、高校の副顧問の先生の母校である東京学芸大学に進学しました。大学でも記録を出したいと意気込んで入部しましたが、思うような結果を出すことができず、「なんで陸上をやっているんだろう」と悩んだ時期がありました。しかし、跳躍女子の同期や先輩方は優しくて面白い方々だったので、記録を出したいという理由は根底にありますが、「このメンバーと練習をすることが楽しいから」というように変化していきました。このような理由で陸上競技を続けてきた私ですが、1年生の時の冬に大切な人との突然の別れがあり、人に会うことが嫌になりました。事実を受け入れることができず、何度も思い出して泣いていました。跳躍女子の方々との練習が楽しいという理由で続けてきていましたが、私が大学生活で陸上をする理由が揺らぎました。それからしばらくの間、笑い声を聞くことや人に会うことが辛くなり、何度か陸上を辞めようと思いました。陸上を続けていることに対して疑問に思うことはありましたが、辞めようと思ったのはこの時が初めてでした。でも、沈んだ気持ちを紛らわせてくれるのも陸上でした。心はほぼ無の状態に近かったですが、時々休みながら自分のペースで大学に授業を受けに行く延長という感じで、特に目的はなく練習をしていました。このような状態で練習をしていましたが、いつも隣には同じ学科・ブロックの未侑がいました。人に会うことが嫌になっていましたが、未侑は私の気持ちを汲んでくれて、私が元気なときは元気に。気持ちが沈んでいる時はそっと隣にいてくれました。未侑がいなかったら本当に陸上を辞めていたかもしれません。ありがとう。
 段々と私の日常を取り戻し、来年こそは結果を出すと意気込んで練習をしていましたが、3年生のシーズンはコロナ禍により、大学で練習ができなくなり先行きが見えなくなりました。試合の目途は立たず、また陸上を続ける意味が分からなくなってしまいました。そのまま10月になり代交代をして、ブロック長を務めさせていただくことになりました。ブロック長としての責任と最後のシーズンということで、冬季練習は目的を持って練習をすることができ、結果でみんなを引っ張って行くという目標ができました。 
 冬季練習が明け、記録会に出場したある大学の監督に「誰かのためを思えば陸上は続けることができる」という言葉を頂きました。確かに自分のためだけを考えていると、「グラウンドが使えないから」「練習がきついから」と簡単に諦めることができてしまいます。その言葉を頂いたときは、コロナ禍で試合を開催してくれていることや、陸上ができる環境に感謝するという漠然とした理由が浮かびました。その記録会で大学ベストを更新することができ、やっと幅跳選手として戦って行ける兆しが見えました。その結果を、お世話になっている先生方や部員に報告をしたら、ブロックの垣根を越えて私より喜んでくれました。正直こんなにみんなが喜んでくれると思っていなかったし、卒業された先輩方も喜んでくださったので驚きました。私の父は約4年ぶりのベストに近い記録を聞いて、関東インカレの開催地や去年の入賞ラインの記録を調べ始めました。まだまだ気が早いですが(笑)私の周りの方々の反応を見て、やっとその大学の監督に頂いた言葉の自分なりの意味が分かりました。今シーズンで選手としての陸上に終止符を打ちます。お世話になった方々に恩返しをしたいと思っていますが、圧倒的な資金力もなく知識も劣ります。そんな私にできる恩返しは、記録を出して周りの人を笑顔にすることだと思います。そして、それは同時に私が陸上を続ける理由です。私は多くの人を笑顔にします。
最後まで読んでくださりありがとうございました。