第197回~今のための今~
はじめまして、A類社会科2年の鴨宮秀実と申します。
川崎市出身(神奈川県)で、地元愛にあふれています。
種目は短距離でがんばってます!!
突然ですが、質問です。
皆さんはどこを生きているでしょうか。分かりにくい質問ですいません。
言い換えるならば、皆さんは過去、現在、未来のどの時空間を生きていますか。??
やっぱわかりにくいですね。
私たちは当然「今」を生きています。
しかしながら、おそらく、私も含め多くの方々は本当の意味で「今」を生きているとは言えない、 と私は思います。
私たちの生活をちょっと見つめてみてください。
1,2,3、…。よくよく考えてみると、「今」を生きているようで未来を生きているような気がしてきませんか。
では、私たちが日々の生活のなかでしていることが、
最終的に還元されるところはどこでしょうか。
まわりまわって結局は未来のため、という結論に達するのではないでしょうか。
そう、「今」を生きる私たちの為す生活のほとんどは、言ってしまえば未来のための準備のようなものなのです。
高度に合理化された社会では、常に未来志向が求められます。
それを無視することはすなわち、未来での生活の喪失を意味し、
そのような未来のために「今」の生活を生きることに意味を見出すことは難しくなります。
社会は私たちに未来での成功のための「今」を生きることを強いてきます。
そして、その未来志向の生活を成り立たせるものは過去です。
人類が、また、個人がたどった過去の成功、失敗から、合理的に未来へ進む方法を私たちは模索し続け、それを参考に生きていくのです。
また、個人の輝かしい過去の思い出は未来のための今を生きる上で大きなエネルギーになるでしょう。
私たちの生活は常に未来を意識し、その陰には過去が常に存在します。
しかしながら、当然もっとも重要視されるはずの「今」は日々の生活の中で意識されることはとはほとんどなく、たとえあるとしてもそれは「今」から一歩前に進んだ後の過去としてしか意識されないのではないでしょうか。
今、この一瞬のために一瞬を生きるという経験を私たちはどれほど経験することができたのでしょうか。
「一瞬のために一瞬を生きる」、現代社会はこの生き方を無産的、原始的、快楽的とみなし、価値のないものとして排除しようとします。
しかし、こういった生活も必要なのではないでしょうか。
私は、未来のための色のない「今」よりも、何万もの色に彩られた、鮮やかな「今」を生きたい。
たとえ未来で待っている「今」が鮮やかな世界であっても、
そのための「今」が色のない世界であっていいはずがないのではないのです。
今、世界では産業革命以来追い求めてきた合理化された社会、
すなわち資本主義社会を見つめなおす動きが出てきています。
マルクスの母国ドイツでは、『資本論』がベストセラーだとか。
せっかくですから、ブームにのって、たとえ非合理的でも今この一瞬を生きてみるのもいいのではないでしょうか。
まずは日々の練習から…。
2008年11月26日 鴨宮 秀実