【部員コラム】No.241~250

丸くなるな。星になれ。

ついに4年生になりました。
けめ、本名は野崎公実子といいます。

陸上は私にとって、生活を充実させるものです。趣味以外なんでもありま せん。
昨日より速く走れる、それが嬉しくて毎日グラウンドに行くんです。

今私は関東インカレで800メートルで、自己ベストで走ることを目 標に生きています。

入賞とか狙っていません。
浪人しても、あんなに遅かった私でも、関カレではしれるってこと、それ を、ちかとゆかりんに教えてあげたいんです。

何度も辞めようと思っているみんなを勇気付けたいんです。

さて、
私はコトバがだいすきなんです。
趣味はコトバ集めです!
好きなキャッチコピーを見つけるとメモっています、

大した記録も成績もないからって縮こまっている人

私は1、2年の頃、昔の自分より遅いのが嫌で嫌で、何度も辞めようとしてました。だから、そんなひとに送りたい。

☆☆★☆★☆★☆★☆★★☆★★☆★★☆☆★

     丸くなるな。星になれ。

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これは今サッポロビールのCMで使われているキャッチコピー。

縮こまらないで、自分の目標に向かってみてください。
誰よりも陸上を楽しむ星になれます!
ちなみに丸顔の私は、自分に、これを言い聞かせています。

私は、
自分の成長で三上とか中長の誰か、陸上部の誰かしらに、けめさん楽しそ うっすね、とか言ってもらえるだけで、誰かを幸せにできてるのかなと 思ってます。だから毎日練習行くのたのしみになりました。
2010年5月6日 野崎公実子

関カレ

こんにちは、生スポ4年の古井啓介です。800専門にやってます。

いや~かれこれ、入学して4年目になります。正直やり残したことは山ほどありますが、今この時期は関カレの事で頭がいっぱいです。

今年の関カレの個人目標は2つあります。まず、800Mで入賞することです。まーまー調子が上がってきているけど、このままじゃ勝てません。最低でも関カレまでに1分53秒台はだしておかなければ…と言っても後1回のチャンスです。まー1分54はすぐにでそうなんですが…気合い入れて走ります。

もう一つの目標が400M49秒台で走ってマイルに貢献することです。 去年は悔しかったので。

んで、チームが1部昇格するのに貢献したいなぁ~

まっ気負いすぎないで…だって大会って楽しいからね!楽しまないと。

関東インカレに対して、私は悔しい思い出しかありません。
1年目はまだまだ体力が戻っていなく、応援するだけ。ただ関東の大学はレベルが高いと思い、指をくわえて観てるだけでした。しかし後半の全教で標準をきり、この調子でいけば来年いけるやんと思い、調子に乗ってました。結果、冬季練習が上手くいかず、シーズンに入ってもなかなか調子が戻らず、2年目の関東インカレは出場することができませんでした。悔しくて、関東インカレ男子800mの時だけ応援せずに一般客に紛れていたことを思い出します。あの頃は若かった・・・
3年目は怪我ですね。シーズンに入る寸前に浜で肉離れ。ゴールデンウィークに捻挫。関東インカレはマイルに出場するもみんなの足を引っ張るだけ。最悪でしたね。
しかし、こんな悔しい経験をしたからこそ、今爆発してます。今年4年目、400mと800mの自己ベストを更新することができました。まだまだ、条件があえば、どちらとも伸びます。400も800もまだ関カレで戦うには足りない状況です。しかし、4年生パワーが今年発揮できそうな気がします。

去年のこの時期、前主将の麻乃氏に「古井が標準切ったから、元気をもらった」て言われたように、今年は関カレまでに、A標準を切って、みんなに愛と勇気を与える フルパンマンになります!

1部昇格 みんなの力をオラに分けてくれ・・・
2010年5月1日 古井 啓介

最後の挑戦

現在、女子中長距離ブロックのブロック長を務めています4年の広江早紀です。
最後の関カレに臨むにあたって、今の自分の想いを書きたいと思います。

「人はどこに進んだのかではない、進んだ場所で何をするかが大切である」

私が東京学芸大学を志願した理由は、教員になるという将来の夢を叶えるとともに、陸上競技を続けるため、自己記録を更新し、さらに上を目指すためでありました。

しかしながら、この3年間は自身が思い描いていた陸上競技生活とは程遠く、大学4年間での目標を何一つ達成できていないまま、最後の冬期を迎えてしまいました。

― 自分は一体何のために学芸大学に進学したのか
― せっかく学芸大学で陸上競技を続けているのに、このままで終わっていいのか
このことを考える度に今までの自分に腹が立ち、悔しくてなりませんでした。

― もう1度思いっ切り走りたい
― 800mのラスト1周の鐘を自分が鳴らしたい
この思いを胸に、冬期の練習をこなしてきました。

関カレを目前に控え未だ標準記録種を突破できていない状況でありますが、
今の自分は仲間と共に関カレの舞台で走るイメージができています。

なぜなら、私には心から信頼できる仲間がたくさんいるからです。

どんなことがあっても見捨てずに、共に走り続けてくれた仲間は私にとってかけがえのない存在であり、仲間の頑張りが私のパワーとなっています。
みんなからもらったパワーで次の記録会こそ標準記録を突破し、今度は私が標準突破に挑戦している仲間の後押しができたら良いなと思います。

最後になりますが、「全員陸上」というスローガンのもと
このメンバーで臨む最初で最後の関カレを大好きな仲間と共に戦い抜き、
最高の4日間にしたいです!!
2010年5月1日 広江 早紀

継続は力なり

4年A類保健体育選修の福永美也です♪短距離ブロックで100mH専門にやっています。初めてコラムを書かせていただいてからもう3年経ちました…月日が流れるのは早いですね!気が付いたら大学生活も部活も、もう最後の年です。
私は入学したころからずっと「自己ベストを出すこと」を目標として練習をしてきました。
今までのベストは高校2年生の時のもので、ベストを出した時からずっと私の中で時間が止まっていたように思います。どんな練習をしても、冬期を乗り越えてもベストが出ない…『やっぱりあのころが1番速かった』と、まだまだ速くなる可能性を持っているのに、その可能性から目を背けていた自分がいました。
そしてベストがでないまま大学4年の4月になり、最初の試合で私はとても悔しい経験をしました。本当に本当に悔しくて、全然楽しくなくて、このままじゃ終われないと強く思いました。このことがあってから、自分はまだ速くなれると信じて練習してきました。そしてやっと自己ベストを出すことができました☆自分を信じることが力になる、そのことを身をもって感じました。そしていつも試合では『楽しもう』と思って臨んでいるのですが、そう思うこともまた、私に力を与えてくれたのかも知れません。
一時期休部しましたが、4年間続けて本当に良かったです!!
でもまだ試合あるので、ひとつひとつ楽しんでいきたいと思います♪

自分の話を通して皆さんに伝えたかったことは、
「自分を信じることの大切さ」そして「疲れた時はしっかり休む」ことです!
後者は話に出ていませんが…無理をしないで、しっかり体を休めることはとても大切なことだと思います!休むことも練習っていいますよね?
頑張ることはとてもいいことですが、頑張りすぎては疲れがたまってしまいます。そういう時は積極的に休んでほしいです。そうすると、心身ともにすっきりして気持ちに少し余裕ができて、今まで気付けなかったことに気付けたりするかもしれません。

話が全然まとまっていませんが…
長々と私の話に付きあってくださり、ありがとうございました!
2010年4月26日 福永 美也

感謝

女子主務&跳躍ブロック長をやらせていただいてます、4年の野澤香穂です。
最後の関東インカレまであと1カ月になりました。

入学した時、関東インカレの舞台は私にとって遠い舞台でした。
関東インカレで活躍する選手の姿をみて本当にかっこいいと思いました。
2年、3年と関カレには出られたものの決して満足のいく結果ではありませんでした。
NMほど悔しいことはないです。
この悔しさを晴らす舞台はもう1回しか残っていません。

『感謝』これは私の中のテーマです。
1年間主務を務めてきて、ただ選手として出てきたこれまでの試合に
とても多くの人が影で支えて、動いてくれていたこと、
そして、その責務を果たして選手として活躍している先輩たちのすごさを知りました。

陸上をやる上で本当に多くの人に支えられています。
いろいろなことを教えてくれた先輩方、これまで付いてきてくれた後輩のみんな、
陸上を応援してくれている家族、ありがとうございます。

そして何より4年間一緒に頑張ってきた4年生のみんな。
主務として選手として私が部のためできたことは本当にわずかなものだったと思います。
でもいつも一緒に練習して、支えてくれて本当にありがとう。
この代での最後の対校戦、みんなで一つになって頑張りましょう!!

ありがとうの気持ちを忘れずに、最後の関東インカレ、頑張ります!!
2010年4月26日 野沢 香穂

小心者の独り言 Season 2nd

時は20XX年、日常の至る部分に科学は溢れ、現代人の生活は日々Convenienceに、そしてAutomationとなっている。科学のめざましい発展は、未来の世界の某ネコ型ロボットや、親父にも殴られたことがない若者が操る大型白色戦争兵器の実世界での誕生もそう遠くないかもしれないと、淡い期待をこの私に抱かせるのである。
 そんな中、1769年にフランスで誕生してから現代まで、姿形を変化させながら発達し続けている文明の利器がある。そう。ご存じ、自動車である。自動車といえば画期的な移動手段であるだけにとどまらず、現代では様々な機能が付加し、多様な使用方法がある。一家で1台、いや2台3台という時代になっている。
 近年では環境汚染に対し、「持続可能な開発」の考えの基、循環型社会の達成のためゼロ・エミッションや省エネルギー化、3Rなどの対策が求められている。そこで今、各企業がしのぎを削り血眼になって競争を勝ち抜こうとしている部門が「エコカー」である。エコカーとはいわゆる「低公害車」のことであり、電気自動車やハイブリッドカーなどを狭義的に指すこととなる。この「エコカー」はここ数年で驚くほどの普及率を誇った。愛知県の代表的某自動車企業のハイブリッドカーが購入まで約1年待ちとなったことや、大量にリコール対象となってしまったというニュースは記憶に新しく、連日お茶の間を、名前がすべて魚介類の某一家の日々を描いたAnimationほど沸かせたことだろう。いったい誰がこの”大低燃費時代”を予想しただろうか。このような背景には、政府の、多少リスクを負ってでも先を見据えた政策が多少なりとも影響を及ぼしているということに異論はない。宇宙人、宇宙人と揶揄されることもあるが、所詮地球人も宇宙人、人類は皆宇宙人であるのだ。

 さて、話の内容が180度もいいところ、540度ほど変わってしまうことになることになるが、私の尊敬する人物の1人に「江頭2:50」というお笑い芸人がいる。黒スパッツ1枚で暴れ回る、いわゆる”暴走キャラ”の芸風で一部のファンの間では絶大な人気を誇っている。この人物を尊敬しているといっても、私は決して人前で伝説的なや~つを後世に残したり、暴走して各局から出入り禁止を喰らいたいわけではない。彼の生き様、信条が私の芸人魂を、かの有名な某低周波治療器ほどに強烈に痺れさせるのだ。
 彼が言った言葉にこのようなものがある。
「これをやったら次回出られなくなるんじゃないかなんて考えないようにしている。人間、いつ死ぬか分からないからその時のすべてを出し切りたいんだ。俺はいつ死ぬか分からないし、見てくれてる人だっていつ死ぬか分からない。視聴者が最後にみた江頭が手抜きの江頭だったら申し訳ないだろ。」
「生まれたときから目が見えない人に、空の青さを伝える時なんて言えばいいんだ。こんな簡単なことさえ言葉にできない俺は芸人失格だよ。」
 私はこの言葉を聞いたとき、思わず身震いした。地デジ化していない我が家のブラウン管の向こうでいつも暴れ、笑いを届けてくれる彼に感動を届けられるとは夢にも思わなかった。ギャップというものに落とされてしまったのである。

 ここまででは、相変わらず難解で不可解な文章を書いていると思われても仕方がない。そこで、この一見全く繋がりのない文章を、これから某青色人面機関車たちのごとく連結作業をしていきたいと思う所存である。つまり私が今、考えることは”エコカーに乗る江頭2:50”、すなわち”エコしら2:50”に私はなりたいということである。先、先を見つめるだけで、今を見ようとしない人、今、今を見るだけで先を見つめない人、そのような両極端な人間でなく、”先を見つめつつも一瞬一瞬を常に全力で生きる人”になりたいと思う。そしてもう一度、「陸上競技ができることの楽しさ」を深く考えたい。
 今私は怪我をしている。この時期に怪我をしてしまっている。結果論であるが、あのときもっとこうしていれば、ああしていればと、後悔と自責の念に苛まれる毎日である。”先”を見ることができなかった自分、”今”と向き合えなかった自分、確かに2人とも存在し、そして今の自分がある。
翼の折れたエンジェルは今、羽ばたくことの素晴らしさ、楽しさを今一度再確認した。いつか羽ばたけるその日が来るまで、某治療院と、かの有名な某低周波治療器のお世話になりながら、地道に体の幹を鍛え続けることになることになるだろう。
最後の最後まで親鳥になりきれず、1年が過ぎてしまったが、巣の中の小鳥たちはもう立派に巣立っていってくれる。今までこんな訳の分からない不可解な生き物についてきてくれてありがとう。感謝感激雨嵐とはこのことである。

さあ、巣立ちの時だ。
国立の舞台に、闘魂鳥のけたたましい鳴き声を轟かせてやろうじゃぁないか。

慢心は最大の敵。
2010年4月22日 谷村健宏

チーム

こんにちは。
主将を務めさせていただいています、短距離4年の松野大樹です。
長い冬を終えてシーズンに入り、自己記録を更新する部員の笑顔を見て、とても嬉しい気持ちでいっぱいな今日この頃です。

さて、関東インカレまであと1ヵ月となりました。
この1ヵ月、関東インカレに向けてどのような準備が必要でしょうか。
それぞれの部員が自分の役割は何なのか、考えて日々行動してくれていると思います。

私は主将として、残りの1ヵ月は「全員陸上を完成させる時」だと感じています。
1年前に代交代した時から、私たちの学年は「全員陸上」をテーマに掲げ、事あるごとに「全員陸上」という言葉を言ってきました。
言うのは簡単ですが、部を運営していく立場を経験していくと、この言葉はとても重みがあり、そして計り知れない深みのある言葉だということに気付きました。

私たちが追い求めてきた「全員陸上」。
それは、選手・サポート・応援・指導してくださる先生方・OBの方々など、学芸大陸上部に関わる全ての方々が一つの目標に向かって戦っていくチームです。
「一人ひとりが主役でありエースである!!!」
部員のみんなにはこのような気持ちを持ち、関東インカレを迎えてほしいと思います。
そして、部を支えて下さる方々のご声援が、苦しくなった時に私たちの背中を押してくれて、大きな力になります。
1部昇格を目指し、チーム一丸となって勝負してきますので、ご声援よろしくお願いします。

最後に、
私はこの4年間、家族や今までお世話になった先生方、
学芸大陸上部の先輩・同級生・後輩、陸上を通して出会った友人など、様々な方々に心配をかけてきました。
最後の関東インカレでは、お世話になった方々への感謝の気持ちを伝えるために、そして、自分自身が4年間陸上を続けてきて良かったと思えるように、
最後まで戦い抜いてきたいと思います。
応援よろしくお願いします。
2010年4月22日 松野 大樹

鈍感力

こんにちは!
和菓子大好き、あんこ大好き、誕生日の6月16日が「和菓子の日」な山崎芽衣です。
B類保健体育科の2年で、混成ブロックに所属しています。出身は福井県の武生市です♪

さて、突然ですが、私は鈍感です。高校の時は顧問の先生から世界一不器用という称号をいただいていました。そんな私がなぜ混成競技をやっているのか少しお話します。

私が陸上を始めたのは小学4年のときです。取り組んでいる人数が少ないという理由で最初はハードルを専門にやっていました。中学にあがって混成競技というものがあると知って、一種目分のお金でいくつも競技ができるなんてお得だなとか、いろんな種目ができて楽しいという思いから混成競技が好きになりました。

「鈍感」という言葉に対していいイメージを持っている人はあまりいないと思います。「にぶい」とか「うとい」とか「のろい」とかそういう感じですよね。でも私はこの鈍感さが自分の一番いいところであり、陸上を続けられている最大の要因だと思っています。私が高1の冬に、小泉純一郎さんが「鈍感力」という本を出版されたんですが、私はその本を読んでさらに自信がつきました(笑)。興味のある方は読んでみてください。小泉純一郎さんの「鈍感力」です!もし私が周囲の反応や環境にものすごく敏感だったら・・・ ヘルニアで走れなくなったときに3カ月の間毎日ベンチだけという練習メニューに耐えられなかったでしょう。周りの選手が冬季練を順調にこなしている状況に焦って、無理して走ってさらに悪化させていたかもしれません。東京学芸大へ行って陸上をしようなんて思わなかったかもしれません。

などなど

鈍感でよかったぁ~と思うことが多々あります。ただ、鈍感すぎるのもよくないのでなるべく周りに目を向けられるようにがんばります。

地元に帰ると近所のおばちゃんやおじちゃん、親戚、幼稚園のころにお世話になっていた先生、友達、友達の親、通っていた整骨院の先生など、「めいちゃんの名前が新聞にのるのが楽しみやで、がんばってね~(@^^)/~~~」って応援してくださる方がたくさんいます。やっぱり、そうやって自分の活躍を楽しみにしてくれてる人がいるんだなって思うと嬉しくて力になります。その中でも一番楽しみにしてくれているのは家族だと思います。私が目標を達成できるように大学のたっかい学費を払ってくれて、仕送りもしてもらってます。元気にやってるで!というメッセージとともに、感謝の気持ちをこれから陸上の結果で表していきます。

こんな鈍感な私ですが今後ともよろしくお願いします!

最後に・・・ 一年中外で走れるという東京の気候にびっくりしました(゜o゜)☆
2010年4月19日 山崎 芽衣

病ニモマケズ

はじめまして。今回コラムを書かせていただくことになりました、岩手県立盛岡第一高校出身、新2年B類保健体育選攻の志田 望と申します!!
私は短距離ブロックに所属させいただいて専門種目は110mハードルです。
突然ですが、私は、昨年の9月と先月に右薬指の手術を行いました。原因は類骨々腫(るいこつこつしゅ)という病気でした。今までは、痛み止めの薬を毎日飲んだり、字を書くことが大変になったり、生活に何かしら支障がでていました。当然ながら陸上競技にも支障がでて昨年度は大変辛い思いをしました。なぜ自分だけこんな病気にかかるのだろうか?陸上も続けられるだろうか?本当に悩んでいました。
しかし今は、先月の手術で原因となる腫瘍を除去したことで思いきり陸上競技に取り組むことが出来ています。
さらに、それと同時にたくさんの新入生が陸上部に入部してきました。私は先輩という立場でありますので、リードしていきます。ただ練習で張り切りすぎて故障がないように気をつけます。そして、110mハードルの記録が1度も14秒を出せてないので、14秒をだしてチームに貢献します。
こんな私ですが、これからもよろしくお願いします。
じゃー次は新二年生の最後の取り、めいちゃんお願いね。
2010年4月13日 志田 望

いつもここから

こんにちは!
A類家庭科2年の川合沙耶です。
トレマネブロックに所属しています。

私は、大学に入るまで全く陸上に関わったことがありませんでした。
そんな私がなぜ陸上部に入りトレーナーをしているのかと言うと、ある人との運命的?な出会いによって陸上が「好き」になったからです。

人の気持ちを動かすものは何か?
それは、その事や物が「好き」だという強い気持ちだと思います。
そしてその気持ちは行動へとつながり成長をもたらします。 

私の気持ちを動かしたのは、陸上との出会いでした。

学大の陸上部の方々は、毎日、練習を積み重ね目標に向けて努力している人ばかりです。
私は、そんな選手のために少しでも役に立てたらいいなと思うし役に立ちたいと思っています。

入部して1年がたったというのに成長の感じられない私ではありますが、
すばらしいトレマネの先輩方を見習いながら全力で学芸大陸上部や選手一人一人の目標達成のためのサポートをしていきたいと思っているので、これからもよろしくお願いします!!

次は、やっぱりしだだし!
指の怪我もう大丈夫?(´・ω・`)
2010年4月9日 川合 沙耶