【部員コラム】No.381~390

『集大成』

―Road to 2016 学大の挑戦―⑧
いよいよ最終回となる第8回目は男子短距離ブロック3年の加藤裕介選手です。昨シーズンは200mで20秒台、4×100mRで39秒台と絶好調だった前半シーズンと、怪我に終わった後半シーズンとキレイに分かれました。しかし、学芸大学の短距離にとっては両リレーも含めて欠かせない存在となっています。そんな加藤選手もほぼ毎年自己ベストを更新。タイムが伸びている要因を探り、この連載を締めくくります。 (以下、敬称略)

――昨シーズンはついに200mで20秒台、4継(4×100mR)で39秒台に突入しました。
加藤「39秒台と20秒台は自分の中でどちらも予期していなかったことでした。20秒台はある程度狙っていたんですけど、39秒台に関しては『ああ、出てしまったな』という感覚の方が大きいです。200mはシーズン前半から考えると、全カレB標準を切って少しでも全国入賞レベルに近づければ良いなと思っていたので、20秒台も『ああ、出てしまったな』という感じです。でも、200mは21秒の壁があると思っているので、そこをすんなりと越えられたことは自分でも驚いています。4継は40秒前半では走れると思っていたんですけど、その当時は10秒前半が一人もいなかった『あのメンバーで39秒台が出るんだ』という感覚が大きかったです。決勝はいきたかったですけど(笑)。全カレは3走から4走のバトンパスで肉離れして40秒3だったので、(決勝は)厳しかったかなと思います。もう少し個々のレベルを上げて、1度しか出せていない39秒台がアベレージで出せるようにならないと全カレの決勝はまだ厳しいと思います。関カレはみんなの想いというか、本当に『たまたま』だと思います(笑)。 200mに関しては、冬季練習で自分がやってきたことが身になったかなと思っています。最大スピードを上げることを目標にやっていて、それが150mの練習でかなり身につきました。シーズンの初めは(練習の)150mと200mの切り替えが上手くいかなくて、そこで苦しんでいました。しかし、関カレが終わってからの1ヵ月でその移行をうまくする練習を取り入れた結果、20秒台が出たという感じです。」

――日本インカレでの故障の影響はどうですか。
加藤「全治2ヵ月と診断されました。1週1週良くなっていっているんですけど、初めての怪我だったので、『これ本当に治るのかな』って不安な気持ちになることもありました。でも全カレが終わって、シーズンが終わりだったので、そこまで焦りは感じませんでした。とりあえず、『ゆっくり治そう』、『シーズンの疲れを取ろう』という部分が大きかったです。怪我中は就活の準備をしていました(笑)。色んな企業を回ったり、インターンにも行っていました。陸上から少し離れて、良いリフレッシュ期間になりました。 (リハビリ期間中は)今までハムに頼った走り方になっていたので、もう少しお尻周りを鍛えようと思いました。前の体型と比べると、体つきは少し変わったなと思います。智大(=男子短距離ブロック2年,内田智大)から言われたりもしました(笑)。完治したのは11月中盤でした。11月から12月中旬までは練習も結構しんどかったです。感覚としても左脚だけ振り遅れている感じがあって、一本一本疲れるなといった感じでした。いまは回復していますが、まだ若干左に張りはあります。」

――この冬季はどういうことを意識して練習していますか。
加藤「一つは去年と同じ最大スピードを上げること。もう一つは200mの後半の走りを意識した走りです。去年は4大(=国立4大学対校戦,7月)で少し自分の走りの形が見えてきたので、その完成度を上げようとしています。最大スピードを上げる面に関しては、ウエイトトレーニングと木曜日と日曜日に意識をした練習を行っています。ウエイトとみんなと同じスレッド走、そしてショートスプリント。その中で特に意識しているのは、一時加速と二次加速の切り替えであったり、スピードが上がっていくところです。200mの後半で言えば、理想の形は藤光さん(=ゼンリン, 藤光謙司選手)の走りです。後半もリラックスして前にいける走りをイメージして、いまの練習を行っています。それはドリルで動き作りをして、単純なんですけど150mや200mを自分のイメージで走るというものです。自分の中で決めているタイム設定は、ラスト1本まではちゃんと意識できるフォームで走り切れるタイムにする。ラスト1本は崩れることもあるんですけど、なるべく崩さないようにして走るようにしています。普通のポイント連で3本2セット、3本1セットといった形でやっています。藤光さんの走りは動画を見たり、藤光さんがやっているドリルをやったりして研究しています。後半自分は若干後傾してしまうので、その後傾を直したいのですがもう仕方がないと思っています。その後傾部分で言うと中大の谷口(=耕太郎,中央大学3年)が『ちょっと後傾するよ』と岩崎さん(=男子短距離ブロック4年,岩崎領)から聞いて、その動画を見て少し参考にしています。」

――ほぼ毎年ベストを更新し続けられている要因は何だと思いますか。
加藤「それ聞かれると思いました(笑)。一番は『環境』。この学芸大の『環境』が良いです。毎日『これをやれ、あれをやれ』といった指導者がいないことが一番の要因です。そこで自分に何が足りなくて、何が必要かということをちゃんと考えながらできることが大きかったです。後は練習メニューが自分自身にうまくフィットしたことです。1年生の時に盛田(和彦)先生(=短距離コーチ)が持ってきたメニューが自分にうまくフィットしたことが、伸びている要因だと思います。高校の頃は主に先生が出してくれたメニューをこなして、フリーの練習の時にちょっと自分で考えてやっていました。大学に入ってから盛田コーチが来るまでは高校の練習がベースでしたが、それからは盛田コーチのメニューが中心になりました。競争の環境は一人齋藤郁磨(=男子短距離ブロック3年)がいなくなって、今年は一人で引っ張るのかなと思っていました。でも普通に矢田弦(=男子短距離ブロック3年,現主将)とかがバチバチ引っ張っているので、刺激を受ける部分があります。タイムが近い(長谷川)寛(=男子短距離ブロック2年)や(山田)寛大(=男子短距離ブロック1年)、南(拓也,男子短距離ブロック3年)は走りのタイプが違います。自分は100mから400mまで走れるマルチスプリンターなんですけど、3人はどちらかというと100m専門という感じです。まあ練習では自分の方が強いですけどね(笑)。」

――学生ラストイヤーの目標を教えてください。
加藤「全カレ優勝です。関カレは通過点なのでまあ優勝です。タイムは全カレで20秒5台が出るようにしたいですね。やべえ、言い切っちゃった(笑)。いまは春先でベストを出すことを考えています。やっぱり学生の大会で活躍したいですね。一応関カレで最低限自己ベストで20秒7~8台で走れれば、全カレの20秒5台はかなり有望になってくると思います。春先のグランプリの去年の標準(21秒00)は切っているのですが、日本選手権の標準(21秒00秒→20秒95)も上がったのでまだわかりません。関カレまでにも東京選手権や4月の上旬にも試合に出たいと思っています。関カレ以降は関カレの結果を見て、組み立ても変わってくると思います。就活との兼ね合いもまだわからないです。ただ、来年は授業がないのでもう卒論だけです(笑)。」

――日本選手権は視野に入っていますか。
加藤「関カレで自己ベスト出して、出られればいいなとは少し考えています。でもまだ言える立場じゃないので…。200mはいま20秒5をベストで切ってる人が何人いるんだって感じなので(笑)。 学大記録の更新は全カレで一応狙っています。熊谷は相性が良いんです。大学2年の時の関東新人が熊谷で、21秒52の自己ベストだったんですよね(笑)。」

――最後に何か一言お願いします。
加藤「来年は学生シーズン最後なので、とにかく結果にこだわった1年にしていきたいと思います。今まで陸上を10年間くらいやってきて、全国入賞がまだ一度もないので、最後の年で一発ドカンと花火を打ち上げて散りたいなと思います(笑)。」

(聞き手・編集:片井 雅也)
2016年3月19日 加藤 祐介

『尽力とまごころ』

 ―Road to 2016 学大の挑戦―⑦
「挑戦する」学芸大学の選手の声をお届けしてきました。第7回となる今回は挑戦する「サポート」の声をお届けします。トレーナー・マネージャーブロック3年の東野友美トレーナーと山田尚子トレーナー(同)です。同学年の学生トレーナーとして、今やチームには欠かせない二人。サポートとして最終学年に向けてどのようなことを意識しているのか。普段は日の目を浴びない裏方の思いをお聞きしました。(以下、敬称略)

――お互いの紹介をお願いします。
東野「尚子はよく『物腰やわらか』ってイメージされていて、『先生、先生』って言われているけど、意外とドジっ子しちゃう時があります。結構一人でアタフタしてる様子を見ます(笑)。」
山田「わかってるなー(笑)。」
東野「でも、尚子と心を開いたのは結構遅くて2年生になってからくらいのイメージです。」
山田「え、ちょっと待ってよー(笑)。嘘でしょ!!」
東野「2年生くらいまでは私は結構あかりと仲良くて、尚子は恵子とって感じでした。
 1、2年の頃にはやっぱり辛い時期もありました。自分は選手で高校までずっと選手としてやってきたのに今度は逆の立場になりました。選手の頃は頑張った分が目に見えて結果として出ていましたが、いまは目に見えて自分に返ってくることはありません。それが辛かった時期がありました。本当に自分、見返りを求めるようなヤツなんですよ。でも、あかりとか尚子や恵子は、心の底からサポートする。自分は見返りを求めているのに何で皆はそんなにできるんだろうって。そういう部分は本当に尊敬しています。」
山田「友美は新潟県出身で、2月1日生まれの東学大の3女(=3年生女子)で、高校の頃は円盤投でインターハイにも行ったことのある実績のある選手です。トレーナーになりたくて、この大学に来たと聞いています。友美はみんなの姉御的な感じで、私も含めてみんなが心を開きやすくて、何でも相談したくなります。なんでかって言うと、話したときにあんまり大きなリアクションを取らずに受け止めてくれるからです。」
東野「嘘!?めっちゃリアクション大きいって言われるよ(笑)。」
山田「いや、でもドンと構えてくれているから、言っても大丈夫という安心感があります。だから私も含めてみんな相談したくなるんだろうなと思います。友美の魅力の1番はそこです。初めから仲が良かったというより、色々な苦しみを分かち合って信頼できるパートナーになっていったなという感じです。」

――改めてトレーナーを始めたきっかけは何ですか。
東野「単純に(トレーナーが)カッコいいなと思いました。自分の周りにトレーナーがいませんでした。元々陸上を指導する立場になりたいと思っていたのですが、高校の頃は円盤投だけでみんなとも違う練習場所で、100mのタイムはどれくらいが速いとかもわかりませんでした。トレーナーだったら全部の種目を見れると思って、(トレーナーを)選びました。(教員として)顧問になりたいと思ってトレーナーを視野に入れたのですが、入学してから教員は嫌だなと思うようになって、トレーナーだけが残ったという感じです。本当だったら影からサポートしていくのがトレーナーだと思うんですけど、中心にいるコーチング的な立場から生徒に指導していける存在になりたかったです。
 自分が腰を痛めたときに円盤を教えてくれていた副顧問の先生にテーピングを巻いてもらっていました。シンプルに『脚とかにテーピング巻いてる人カッコいいな』というミーハーな感じで、『巻ける人=カッコいい』というシンプルな図式で、私も頼られる人になりたいという形でトレーナーへの憧れが出来ていった気がします。」
山田「まず私は陸上部に入るか迷っていました。結局色々あって入ることを決めたんですけど、選手は無理だなと思いました。私は高校での競技レベルもあんまり高くないんですけど、あんまり後悔しない形で終わったので自分の中で(競技に対する)区切りは付いていました。あとは三國加歩(=同じ宮城第一高校出身、A類保健体育選修)がいたことも大きかったです。一番は陸上部に入りたくて、形として選手以外でできることがあるんだったらということだったと思います。
 陸上部に入る前に東京に進学していた先輩と東京6大学対校戦を観に行きました。それを観て『やっぱり陸上カッコいい』と思って、入ることを決めました。学芸にも陸上部はあるのに、それを外側から応援するのは嫌だなと思って、中に入りたいと思って部を選びました。」

――サポートをする上で最も大切にしていることは何ですか。
山田「私はいつも言っていますけど、『まごころ』です。具体的に言うと、『相手を思う気持ち』ですね。実際に行動に出ているのは些細なことかもしれないですけど、気持ちが伴った活動をしたいと思っています。美容院とかと似ていると思うんですけど、お客さんからしたら1回目だと思うんですけど、切ってる方はその日に何人も切ってるわけじゃないですか。トレーナーってそういうところすごく似てると思うんですよ。何人もやって疲れてるけど、その人にといっては1回目。それに気づいたときに疲れたからって、手を抜いちゃいけないなと思いました。1年間やって、2年生くらいからはこのことを意識するようになりました。」
東野「私は尚子の『まごころ』説を初めて知ったのは、2年の終わりのブロック長を決める話し合いの時でした。そこで自分に足りない部分はそこだなと思いました。逆に自分は目に見えるものでしかサポートできていませんでした。だから試合の時のサポートは選手が笑顔で帰ってきてくれると、自分も少なからず力になれたと思って、ちょっとは目に見えて返ってきて楽しいです。でも日々の練習でそれは無くて、自分は辛かったんだなと。尚子や恵子は『まごころ』でサポートするというのを初めて聞いたときに自分の足りないものはこれだと思いました。それからは関われば関わるほど応援したくなる選手が増えてきたので、そういう選手を増やすようにしています。」

――今までのサポートで最も嬉しかったこと、最も辛かったことは何ですか。
東野「一番ではなくて、全体を通して嬉しかったことは『何かあったら一番先に自分の言ってくれること』です。試合のことも、日常生活のことも、1番最初に自分に言ってくれると『その人にとって自分は結構近い存在なんだな』と思って嬉しくなります。」
山田「嬉しいと感じる場面は王道ですけど、大会とかで『尚子がマッサージしてくれたから走れた』みたいに声をかけてくれることです。わざわざ言ってくれるというの嬉しいですね。最も辛かったのは2年の夏です。短距離の三重合宿と(中長距離の)菅平合宿の2つに行きました。時期は離れていたんですけど、消耗が激しすぎて…(笑)。その時は私も未熟だったんですけど、夜に選手は自由に行動できるんですけど、私たちはマッサージとかで縛り付けられていることをずっと感じていました。今考えれば、トレーナーはそのために行っているのでしょうがいないと思えるんですけど、当時はキツかったです。」
東野「私は夏休みや春休みの時間のある練習で『終わりのないサポート』みたいなのがキツかったです。ご飯食べようと思ったら、ランチも全部終わっていて…(笑)。1年の頃は結構マンネリ化する時期がありました。片井さんとかラド(=トレーナー4年,葛原康崇)さんはマッサージを頼まれていて、それをただ見ているしかできない自分に悲しくなりました。『私は何のためにここにいるんだろう』って思っていました。でも今の1年生を見ると、その時の自分を思い出して辛くなるので、今の1年生はそういう思いをさせないように努めています。」

――最後の関東インカレに向けて、いまどういうことを意識していますか。
東野「去年の関カレを経験して思ったのは、不完全燃焼で最後の集合で何も感じなかったんですよ。悔し涙とか嬉し涙とかもなくて、『ああ、なんか終わったな』って。今年はラストシーズンなのに去年みたいにそうなるのは嫌だと思ったので、最後まで自分のできることを出し切って、やりきった気持ちで終わりたいと思っています。あとは3年生として、1年生には何かを残したいというのもあります。関カレに懸けている選手もいるので、自分も全力でいくという姿を背中で見せたいと思っています。」
山田「ほぼ友美と一緒ですね。去年は何も感じなかったというより、『ダメだったな』という感じでした。今年は達成感をもって終わりたいなと思います。でもまだ実感もなくて、不安な部分も大きいです。」

――最後にお互いに一言ずつお願いします。
山田「私とは違って強い選手だったから、その表舞台から一転して影のサポートの存在になってギャップがあると思います。友美は苦しかった時期があったと言っていました。それでもトレーナーを続けているのはすごいと思います。トレーナーの道を選んで、続けている友美が凄いと思っていて、その点すごく尊敬しています。この築き上げてきた関係で、最後まで頑張りたいと思います。よろしくお願いします。」
東野「りょ!(笑)まず、いまのに応えるとすると本当にギャップはあって、ツラい時期がありました。でも(選手として)表上の立場もサポートとしての立場も両方見てきているので、自分は本当に得した人間だなと思っています。私は我が強いタイプだけど、尚子は1歩引いたところから周りを見ている感じです。全然タイプは違うんですけど、今までぶつからずにお互いの意見を聞いて、良いものを作りあげてこれているなと思います。尚子が『まごころ』を大切にしているという話を聞いてから、『なんでそういう心の底からサポートできるんだろう』って。尚子はそれを自然と思えていて、本当に尊敬しています。」

(聞き手・編集:片井 雅也)
2016年3月10日 東野 友美 山田 尚子

『終わり良ければすべて良し』

 ―Road to 2016 学大の挑戦―⑥  
 第6回目は男子中長距離ブロック3年の大川内(おおかわち)明選手です。昨季から「関カレで戦うこと」を意識して練習に取り組んできました。この冬季も他の中長距離ブロックと一線を画して、自分自身のスタイルを貫きます。800mへのこだわりをお聞きしました。(以下、敬称略)

――昨シーズンは常に標準記録を意識するように心境の変化があったように感じます。何かきっかけはありましたか。
大川内「3年生以前は(関東インカレの)標準を意識しようにも、意識できるレベルではありませんでした。関東インカレに出ることはずっと夢だったので、1・2年ではまずそのための下地を作ろうと思ってやっていました。そのために1・2年の頃は関東新人の標準が低い、1500mを中心に取り組んでいました。でもなかなかうまいこといかずにモヤモヤしていました。ただ対校枠が空いていたという理由で出場した2年の24大で、1500mの練習しかしていなかったわりに2分1秒で走ることができました。『これ800mの方が狙えるな』と思って、そこから意識するようになり、関カレも明確な目標になってきました。根橋さんや石田さんなど強い先輩方の練習のタイムと比較しても、800mであれば遜色ない練習が出来ていました。関カレの標準に近いタイムを出せるという自信はあったんですけど、試合でうまく噛み合わず、『こんなもんじゃないのにな』って思っていました。去年は殻を破れなかったことが原因かなと思っています。シーズン序盤に良いタイムを出して、そのパターンにはめていけば、絶対にシーズン後半でタイムは切れるという気持ちがありました。でも、1分57秒から56秒にタイムを伸ばすためにはもっと根本的なスピードが足りなかったし、夏場にそこを意識してやれば良かったと反省しています。去年の練習の流れとして完全に800mでタイムを出すことを目標にしていたんですけど、そのベースの部分であるスピードを上げないと800にうまく繋がらなかったなと思っています。」

――昨シーズン、タイムが伸びた要因は何ですか。
大川内「元々試合が苦手だったというのがあって、今も直ってはいないんですけど、無駄に緊張してしまったりすることが多くて、試合前日に一睡もできないことがありました。それが試合を積み重ねることによって、無くなっていったというのが大きいと思います。3月から週1くらいのペースで試合にドンドン出続けて、試合に慣れようとしている段階で、4月末の日体大(=日体大長距離競技会男子800m10組)で1分57秒(1分57秒77)が出ました。試合慣れもして、身体の疲労もあまりなくて、あの時期は心身の状態がうまく一致していたんだろうなと思います。夏以降は練習を積めていないわりに試合に出すぎたなと思います。もっと練習を積んで、試合を一本一本集中しないといけなかったと。とりあえず、試合を練習代わりにという軽い気持ちで出てしまったのがいけなかったなと思います。」

――試合前の緊張は中学・高校時代からありましたか。
大川内「中学の頃からあって、中体連の試合前日は本当に一睡もできなくて、『あさが来た』という感じなんですけど(笑)。その日雨がめちゃくちゃひどくて、洪水になって中体連が中止になりました。そのおかげで疲れ切って次の日に寝て、中体連はある程度良い結果が出せました(笑)。今も時々あるんですけど、『○○に負けたくない』とか無駄に意識しちゃうと、やっぱり僕は良くないですね(笑)。後輩にはとにかく負けたくないですけど(笑)。」

――中長距離ブロックの中でも自分のスタイルを捨てずにやっているように見えます。
大川内「若干焦りというのがあるのかもしれないですけど、僕の目標は『関東インカレで入賞すること』です。そのために標準をまず切らないといけないし、そのうえで関東インカレで自分のコンディションを合わせないといけません。そう考えると、去年みたいに4月の後半にベストが出ると関東インカレに間に合いません。3月後半から4月頭で標準を切って、そこからもう一度練習を積みなおして関東インカレに臨むというのが、ベストだと思っています。そういう流れを意識している中で、いまの中長ブロックが全体としてやっている流れは4月をピークに持っていくものなので、ちょっと(自分には)合ってないなと思って一人でやらせてもらっています。関カレ標準は一般的に記録が出にくいと言われている、シーズン初戦の『春季オープン』で切りたいと思っています。春季の次は2週間くらい空いてしまうと思うので、なるべく早めに切ってしまいたいです。そこから調整して、順位とかはまだ言えるレベルじゃないですけど、点を取りたいです。」

――関カレの標準を破るために、自分に足りないものは何だと思いますか。
大川内「スピードもそうですけど、ウエイトも女子より上がらないほどなのでパワーも必要です。パワーもないわりに、ランニングフォームも効率が悪いものなのでそこも直さないといけないですね。そこはちょっといま兆しが見えていて、この間杉原さん(=男子短距離ブロックM1, 杉原圭亮)にフォームを見て頂いて、全然ダメだと言われました(笑)。ただ『全部伸びしろだよ』って言ってもらえたので、そこはプラスに捉えています。その時に接地の仕方とかも色々教えて頂いたので、いまアップとか普段のジョグから取り入れてやっています。その効果かはわかりませんが、最近竹下さんが調子良くないんですけど、2連続でラストで勝てて自信になっています(笑)。」

――大学最終学年を迎える心境と目標を教えてください。
大川内「心境の面から言うと、『短かったな』と思います。陸上生活がもう終わるのかと思うと、すごく寂しいです。社会に出てもジョギングとか続けたいんですけど、自分のバイタリティでは無理だなと思っています。あと10年くらい(陸上を)続けても飽きないと思います。陸上も好きですし、走ってるのも好きですし(笑)。目標はやっぱり関カレです。僕はずっと関カレに出たくて、やってきたので。でも予選会も外したくないですね。昨年は完全に800mをやって、助っ人的な感じで出て73分(=1時間13分22秒,557位)だったんですけど、意外と『いけるな』と感じました。『これもう少し練習すればいけるんじゃないか』というのがあるので、普通にチーム1番を狙っていきたいですね。やるからには63~64分台辺りを目指したいです。その後25大学駅伝は4年生(25大学)幹事会チームで出場します。」

――25大学の幹事会でも秘書として活動されました。最も辛かったことは何ですか。
大川内「そんなに辛いことはなかったんですけど、組織的に引き継ぎがものすごく雑だったんですよね。2年の25大終わりに引き継がれたんですけど、紙媒体の資料とデジタル媒体の資料も整理されていないものが渡されました。いまどの情報が必要なのか全くわからない状態でした。そこからこの時期だからこの情報が必要だなというものを探していって、来年もこの状態のままでは良くないと思いました。そこで僕が一つの流れを作って、自分が使った資料、テンプレート、マニュアル、自分が作ったものだけを残したファイルを1つ残して、これから使う可能性もあるので今までの資料も残しておきました。後輩の氣田くん(=混成ブロック2年, 氣田朋樹)にはとりあえず僕のファイルを使ってもらって、そのファイル以外のものを使うときは適宜ファイルに入れるようにしてもらいました。そして、最終的にはまた使ったものだけを残してもらう形にしました。データが増えすぎると、また引き継ぎでわかりづらくなるので、できるだけいるものだけを残すようにしました。運営面での効率化はずっと目指していました。」

――最後に何か一言あればお願いします。
大川内「このような場を作って頂き、誠にありがとうございます(笑)。中長ブロックが僕らの2つ上がめちゃくちゃ強くて、相対的には弱くなっていると思います。どうにか頑張ってまた中長を強くしていきたいと思っています。関カレでの戦い方とか後輩に残せれば最高ですね。」

(聞き手・編集:片井 雅也)
2016年2月28日 大川内 明

『諦めない!』

―Road to 2016 学大の挑戦―⑤
 第5回目は女子短距離ブロック3年の河村直美選手です。昨季はハムストリングスの故障に悩まされ、陸上が楽しくない生活が続いたそうです。ついに今年は最終学年として迎える関東インカレ。副主務としてサポートをこなす傍らで、関カレの舞台への静かな闘志も捨てていません。(以下、敬称略)

――部員コラムでおなじみの自己紹介をお願いします。
河村「東京都新宿高校出身、G類生涯スポーツ専攻の河村直美です。短距離女子ブロックに所属させて頂いております。中1から陸上を始めて、ずっと短距離です。ハードルを始めたのは中1の夏です。これまで自分がやって最も嫌だった種目は投擲です。四種競技や七種競技にちょいちょい出さされるんですけど、(投擲は)その場でやるしかないので本当に記録が出なくて…。砲丸もやりも記録が出なくてつまらなかったです(笑)。」

――これまでの大学陸上を振り返っていかがですか。
河村「入学した時は陸上部に入るかどうかも迷っていました。でも4月の『新入生顔合わせ会』があると聞いて、行ったらそこで入部届けを書いて、気づいたら(陸上部に)入っていたという感じでした。私はインターハイも出ていなくて、学芸にはインターハイに出ている選手が多いことを知っていたので、正直ビビっていました。『入ってやっていけるのかな』という不安がとても強かったです。でも入ったら周りの人が良い人ばかりで、ただ1年生の時はがむしゃらに練習に付いていきました。こんな私でもがむしゃらに付いていくだけで、大学2年(=JDT、4大学対校)では少しタイムを伸ばすことができました。2年の前半は1年の冬季の練習のおかげでいけたんですけど、終盤は振るいませんでした。2年の冬季は本当に辛くて、あれだけ冬季に練習したのに3年では脚が痛くて思うように走れませんでした。3年の時は陸上が全然楽しくなかったです。でも、この冬季は良い感じで積めています。今までとは違って色んなところから指導してくれる人がいるので、また違った取り組みが始まっています。感覚がいつもと違う形で取り組めていますが、正直怖いです。『これでうまくいかなかったらどうしよう』って。」

――陸上部に入るか悩んだというお話がありましたが、学芸大学の生涯スポーツ専攻を選んだ理由は何ですか。
河村「体育の教免(=教員免許)は絶対に取りたくて、教育ばっかりではなくスポーツのことも学びたいと考え、初めは筑波大を受けようと考えていました。センター試験がダメで、前期(入試)はB保(=学芸大B類保健体育専攻)を受けて落ちて、生スポは後期で受かりました。他の私立も合格していたんですけど、(後期は実質)倍率が下がって運良く合格できたという感じです。」

――3年時にはハムの痛みにも悩まされました。
河村「1度3月くらいに痛めたのは、結構痛かったです。色んな人に診てもらって『大丈夫』と言われたんですけど、なかなか痛みは引きませんでした。そのとき春は諦めて、夏くらいに出来上がれば良いと思っていました。でも『自分は本当に脚が痛かったのか』、『また再発するんじゃないか』と思っちゃって、練習もうまく積めませんでした。痛みの度合いは小さくても、『再発が怖い』という部分もあって踏み込めなかったのかなと思います。去年1年は本当に楽しくなかったです。」

――副主務として陰ながらチームを支えています。一番大変だったことは何ですか。
河村「全カレの前日から開会式までですかね(笑)。始まると意外と大丈夫なんですけど、始まるまではマジでやばかったです。(選手の)ゼッケンをもらって、(前日)会議に出て、場所取りの抽選をやります。最初は抽選の順番がかなり後ろの方で、『終わった』と思いました。でも他大学の関係で抽選がやり直しになって、それで2回目は順番が9番目。最高でした(笑)。今回はホテルがバラバラだったので、前日練習する選手にゼッケンを渡すために駅で待ち合わせをしていました。それがなかなか上手くいかずに、それに合わせてメーリスとか連絡もしなければいけませんでした。話すと早いことも文面を考えるのがとても大変でした。水崎さん(=水崎悠樹,4年,前主務)に文面を作ってもらって、それを私がコピーして送っていました(笑)。でも、トレマネさん、水崎さん、千幸さん(=上田千幸,4年,前主務)、前田くん(=男子短距離ブロック3年,前田俊貴)も一緒に色々やってくれて、他にも色んな人が助けてもらって、本当に感謝しています。3日目が終わって、選手の人に『ありがとう』と言ってもらえて、本当に嬉しかったです。1年の時は主務はみんなの前で連絡事項を話していれば良いくらいに思っていたんですけど、全カレでやった主務の仕事はみんなが知った方が良いと思うくらいに忙しかったです。みんな、主務に感謝した方が良いと思います(笑)。私はこの4日ほどで疲弊したので、1年やってる二人はどれだけ凄いか…。」

――この冬季は来季のどういったことを目標にして練習をしていますか。
河村「正直、関カレに出るとか対校戦で点を取るのは難しい立ち位置です。みんなには申し訳ないんですけど、『自己ベストを更新する』とか『自分の目標を達成する』ことを重視しています。この冬季は、去年量をすごく走って、あまり試合に結びつかなかった反省があるので、技術練と冬にしてはスピードを出した練習をやっています。来季は100mは12秒台、100mHでは15秒台を出したいです。競技としては一旦関カレで区切ります。中・高でお世話になった先生や親にも1度しか大学での競技を見せられていないので、夏ごろに中・高生が出るような東京の試合があれば出場したいです。4年になると就活や教採もあって、陸上どころじゃなくなることもあります。でも、陸上に向けられる余裕がなくなるまではやりたいと思っています。」

――最後の関東インカレを迎える心境はいかがですか。
河村「たぶん選手として迎えられないので、サポート役になると思います。そんな4年生の方も今まで見てきました。でも私はやっぱり出れるなら出たいです。サポートで終わってしまうのが嫌なんですけど、走る人がしっかり走れるようにサポートすることが出れない人の役目だと思うので、しっかり役割を果たしたいです。男子が2部で、女子も全カレに比べて得点計算が大変になると思うので、そんな事務的なことも副主務なのでやりたいと思います。この冬季で『関カレ標準を狙いたい』と言いたいですけど、そんな自信がないです。みんな私のことを『サポート役頑張る!』という感じだと思っていると思うんですけど、意外と複雑な心境なんですよ(笑)。」

――タイム以外で競技人生最後の目標があれば教えてください。
河村「難しいですね…。自分で走っていて、楽に走れている感覚を身につけたいです。100mとかでたまにある、中盤ラクにサーと走れる感覚をしっかりと身につけたいです。」

――最後に何か一言あればお願いします。
河村「そんなに大した成績も持っていないのにここまでやって来れているのは、周りの学芸の人を含めて、色々と見てくれているおかげなので感謝しながらやっていきたいです。それは絶対に忘れちゃだめだと思っています。あと座右の銘が『諦めない!』なんですけど、白方くん(=男子短距離ブロック3年,白方浩平)と同じなんですよね。去年の春合宿のモチベーションビデオで、最後にみんなの言葉が出てくるところがあって、私の『諦めない!』の下に白方くんの『Never give up』がありました。夏合宿の補強ブロックの握手している写真もあって、思わず笑っちゃったことを覚えています(笑)。」

(聞き手・編集:片井 雅也)
2016年2月26日 河村 直美

『スプリンターズフィーリング』

―Road to 2016 学大の挑戦―④
 第4回目は100mで学内トップレベルのお二人、長谷川寛選手(男子短距離ブロック2年)と山田寛大選手(同1年)です。同じ100mを専門に、5月の関東インカレでの4×100mR39秒台の立役者ともなった両選手。「スプリンターフィーリング」で共感する二人の世界観を探ります。(以下、敬称略)

――お二人とも「100m」という種目にこだわりがあると思います。
長谷川「一番速さを競う感じが、『男』って感じで面白いです。」
山田「僕は100mにあまりこだわりはないんですけど、気づいたらやっていたという感じです。元々幅跳びをやっていて、短い距離は得意でした。それで中学3年生から100mをやっています。」
長谷川「僕は中1からずっと100mです。やっぱり中学生って、最初100mから入るじゃないですか。100mから入って、そのままよそ見をしないでずっと続けたという感じです。」
山田「僕は当時の先輩が県で入賞したりしていて、その憧れから幅跳びを選びました。」
長谷川「でも、やっぱり『シンプルな面白さ』じゃないですかね。憧れとかは特になかったですけど。元々はサッカーを6年やっていたんですけど、『うまくならないな』と思って、何か新しいことをやりたいと思っていました。僕の中学は全然部活がなくて、屋外はサッカーと陸上だけで、室内はバレーとバスケだけでした。屋内は嫌で、屋外の2択しかなくて、鉛筆を転がして、『サッカーなんか先輩で嫌なやつがいるんだよな』ってなって陸上になりました。」
山田「僕は中学の陸上部の顧問の先生に『一回来て』と声をかけられました。実際に行ってみると雰囲気がすごく良くて、入りました。」

――普段の走りをお互いどのように見ていますか。
山田「僕が寛さんの走りを見て思うことは、走りに力みがなくて効率の良い走りだということです。ガツガツいかないで、スーって流れる感じの。見ていて参考になるなと思います。」
長谷川「ありがとう…。なんか照れますね。寛大の走りは速いなーと思いますね。ドリルをいっぱいやっているなという感じです。むしろ寛大の方が上手に走っているなと思いますよ。なんというか体の捻りをうまく使っているなという印象です。」

――スプリントでは一番何を意識していますか。
長谷川「速く走ることじゃないですか。その時々で意識することは変わります。最近は『ゆったり走るけど、速い感じ』を意識しています。気持ちと身体の両方を意識してやっています。伝わってるでしょ?」
山田「だいたいわかります。」
長谷川「『スプリンターズフィーリング』というやつですね。」
山田「一番意識しているのは、走るイメージと実際に走る感覚を一致させることです。僕はストライドもピッチもそんなに無いので、とにかく効率の良い走りを意識して走っています。高校の時から顧問の先生に自分の意識したことを伝えて、客観的に見てどうなっているかを教えてもらっていました。そうやって、イメージと感覚を一致させてきて、あまりズレることはないなと思っています。理想の走りというのがあって、いまはそれに一致させようとしているところですね。理想の走りは『脚が前で動く状態』です。藤光さん(=ゼンリン, 藤光謙司選手)みたいな走りが理想かなと思います。」

――追い風参考記録では二人とも10秒4台で並んでいます。これを公認で出すためにはいま何が足りないですか。
長谷川「『運』じゃないですかね。運というか、『タイミング』。調子が本当に上がってきたときに、良い条件で走れるレースがあれば、出せる自信はあります。でもやっぱり、なかなかシーズンずっと良い調子でいられるわけじゃありません。去年も腰を痛めたりしてダメな時期がありました。調子と条件がガチっとはまれば、いけます。去年は日頃の行いが良すぎて、風が良過ぎたんですよ(笑)。」
山田「去年の(埼玉)県選で向かい風の中でベストに近いタイムで走っています。10秒4は見えたんですけど、うまくピークが合いませんでした。今年はうまくピークさえ合えば、10秒4は出ると思っています。まあ、タイミングとピークですね(笑)。あまり風は気にしないです。」

――お二人は来季以降リレーメンバーの核にもなっていきます。このチームの可能性はどこにありますか。
長谷川「リレーは結構無限大の可能性が拡がっていると思うんですよね。どこまでとかじゃなくて、どこまでもいける感じ。」
山田「実際に去年関カレで39秒出したときは、『もっといける』という感覚はありましたね。」
長谷川「一番くらいいきたいですね。『全カレ優勝』くらいの可能性はあると思います。タイムとしてもどれくらい行くかわからないですし、無限の可能性がありますね(笑)。今年の目標としてはまず(正メンバーとして)『走ること』ですね。」
山田「油断したらメンバーに入れないこともあると思います。誰でも走れる可能性はあると思うので。」

――来季の目標を教えてください。
長谷川「長らく自己ベストが出ていないので、自己ベストは出したいです。中途半端なベストではなく、全カレのA標準(=昨年は10秒45)を切るくらいのタイムを狙っていきたいです。それとここ2年関カレで良い思い出がないので、しっかり勝ちたいです。今のところ仕上がりも早めに上げて、関カレで狙えるようにしています。」
山田「今年は全カレで戦うことです。去年は0.01秒標準(=B標準:10秒56)に足りないという悔しい思いをしたので。あとタイムとしては安定して10秒前半を出せるようにしたいです。10秒前半が(チームに)いるといないじゃ違うと思います。」

――お互いに一言とこの場で何か一言あればお願いします。
長谷川「頑張りましょう(笑)。この場で一言は特にないです。かっこよく編集しといてください(笑)。」
山田「強いて言えば、今の短男の雰囲気がテンション高くて、一番勢いがあると思っているので、このままの勢いで冬季を乗り越えてシーズンインしたいです。」
長谷川「これが二人の総意です!(笑)」

(聞き手・編集:片井 雅也)
2016年2月10日 長谷川 寛 山田 寛大

『一緒に強くなる―うちうき対談』

―Road to 2016 学大の挑戦―③
 第3回目はいつも二人一緒にいるイメージがある、宇喜多七海選手と内山成実選手です(ともに女子短距離ブロック2年)。走るたびに自己ベストを更新しているイメージの宇喜多選手と、400mHと800mの二種目を器用にこなす内山選手。同じ400mHを専門にする二人の内心に迫ります。(以下、敬称略)

――お二人にとってお互いの存在はどういったものですか。
宇喜多「私にとって成実は、やっぱり目標です。タイムとしても目指す場所に成実はいるし、そういった選手が同じ場所にいることで見て感じることがあります。学芸大学に入って思ったことなのですが、強い選手はやっぱり練習も強い。強い先輩もそうですけど、やっぱり『同級生の成実が頑張っているから』と練習面では励みになっています。(部活だけでなく)普段も『仲良し』です(笑)。」
内山「授業も一緒で、空きコマも一緒で、ずっと一緒にいる感じです。陸上面では私も凄く刺激を受けるし、去年の活躍を見て『自分も頑張らなきゃ』と思いました。『粘り強さ』が七海のすごく良いところだと思っていて、練習でも隣で走っていてすごく刺激を受けています。もはや『普段』と『陸上』が一緒だと思います(笑)。七海は頭が良いので助かっています。」
二人「お互いにカバーし合っている感じですね(笑)。」

――仲良くなったきっかけは何かありますか。
内山「母親の誕生日が同じで、さらに名前が近かったり、長野に所縁があったり共通点が多かったです。」
宇喜多「でもやっぱり、種目が同じヨンパー(400mH)で、空きコマで一緒に練習するようになりました。そしたら自然と気づいたら仲良くなっていました。」

――昨シーズンのお互いの活躍をどのように見ていましたか。
内山「七海が記録を出したことは素直に嬉しかったです。でも、『自分も頑張らなきゃ』という気持ちもありました。喜べないわけじゃないんですけど、そういう気持ちと半々でした。」
宇喜多「私は一緒に試合に出ると、(成実の)予選から決勝までのレースの組み立てのうまさをいつも感じていました。私はそんなに余裕がなくて、ただ一本がむしゃらに走っているだけでした。近くで見ていて違いを感じました。後は800mの日本選手権の標準(2分08秒00)を切った、町田での(東京)国公立(対校,5月)が一番印象に残っています。(成実は)良い記録は出してたけど、まだ自己ベストが出ていなかったので、良い記録が出たのは本当に嬉しかったです。」
内山「私は(国公立)25大(対校,10月福島)の400m(=56秒78の自己新で3位入賞)の七海の走りが一番印象に残っています。」

――同じ400mHを専門にしていますが、宇喜多選手は短距離、内山選手は中距離もこなします。お二人の違いをどのように考えていますか。
内山「自分はスプリントを上げたいんですけど、七海は100mとか200mでもタイムを残していて目指したいです。私は『スプリントの向上』が鍵だと思うので、一つの目標です。」
宇喜多「普段600m系の練習をしていても感じるのですが、東大の七種の800mで最も感じたことがあります。成実に500m辺りまでは付いていけたんですけど、ふっと成実が前に出ました。『私も、私も!』と思ったんですけど、全然付いていけませんでした。『やっぱりここか』と思って、残りの300mを苦しんで走っていました(笑)。(800mの)タイムを見ていても速いことはわかっていたんですけど、一緒に走ってより実感しました。」

――この3月で西野愛梨選手(大学院2年)と山下理花選手(4年)が卒業して、お二人がチームの400mHの中心になってきます。去年の関東インカレも踏まえて、今年の関東インカレでの目標を教えてください。
宇喜多「私は61秒を切りたいです。関東インカレは決勝に行きたいと思います。去年は準決まで行ったんですけど、予選で力を使い果たして最下位でした。高校時代から私は秋の方が記録は出ているので、春先にどれだけ仕上げられるかが課題だと思います。間に合うかわからないですけど、関カレで去年より良い記録を出したいと思います。」
内山「今はまだ怪我のリハビリ段階です。でも目標としては、3番以内に入りたいし、タイムとしても自己ベストの59秒台で走って、58秒台を見据えていきたいです。」

――マイルリレーの学大記録(3.42.45,2000年)の更新はどうですか。
宇喜多「更新したいです。この実さん(=女子短距離ブロック3年,安西この実)も凄くマイルに懸けているので頑張りたいです。成実とこの実さんと野乃花(=女子跳躍ブロック2年,利藤野乃花)と私で学大記録にいければ…。」
内山「ほぼメンバーが変わらずにやっていて、2年経ってチーム意識がどんどん生まれてきました。『このメンバーだから、勝ちたい』という気持ちが強いです。1年の頃は『足を引っ張らないように』という意識だったんですけど、2年になってからは『このチームで勝ちたい。だから頑張る』という意識になってきています。」
宇喜多「それはすごくわかる。全カレの予選を走らせてもらった時に、周りの人たちが速いおかげで予選を走らせてもらえたという感じが凄くありました。来年は『自分も戦力だ』と、もっと強気で走れるようになりたいなと思いました。」

――お二人にとってヨンパーという種目とは。
内山「自分は400mでは勝てなくてもヨンパーでは勝てる。ハードルがあることによって、何があるかわからない。足が合うと楽にいけるし、そうした試行錯誤ができることが楽しいということが一番です。自分の辛さ的にヨンパーが一番楽で、その次に800mで400mっていう順番なんですよね(笑)。」
宇喜多「私はヨンパーを一番最初に走った時のタイムが69秒でした。これは全然練習とかしていないものでした。でもそれからどんどんタイムも伸びて、一番タイムが伸びる楽しさを感じさせてくれるものがヨンパーだなと思います。」
内山「え、それわかる。」
宇喜多「ヨンパーは走っていると頭を使う分、自分がうまくいったことが実感できて、とてもやりがいがあります。ただがむしゃらに走るだけじゃなくて、楽しいし、やりがいもあって、本当にヨンパーは良い種目だなと思います。」

――内山選手から見て、宇喜多選手の自己ベストを更新し続ける要因は何だと思いますか。
内山「『常に前を追う姿勢』かな、と思います。意志が弱ければ、強い選手にも着いてはいけないと思います。(七海は)意志が強いから、どれだけ離れていても近づいていける感じがします。」

――宇喜多選手から見て、内山選手が器用に2種目をこなして、トップレベルで走り続けている要因は何だと思いますか。
宇喜多「成実は練習を見ていて、良い意味での『がむしゃらさ』を凄く感じます。ダンスの授業とかでもすごく激しいんですよね(笑)。本人は意識ないと思うんですけど、人が1でやるところを成実は常に1.5とかの勢いでやるんですよね。本人も自然とそうできているところがすごいです。何事にも手を抜かず、『どこまでやるの?成実』みたいなところがあります。それを見ていて『私もやらなきゃ』と思って一緒にやらせてもらっています。成実は自分でしっかり考えてやっていて、私は成実のそういう姿勢に、ただ引っ張ってもらっているなという感じです。」
内山「七海もがむしゃらだよ(笑)。」

――最後にそれぞれお互いに一言ずつお願いします。
宇喜多「私は2年間一緒にいたけど、あと2年しか一緒にいられません。あと2年たくさん迷惑もかけると思います。何があるかわからないけど、この学芸大学で出会って、一緒に練習できることが嬉しいです、これからもよろしくお願いします。一緒に強くなりたいです。二人でどこまでも強くなりたいです。」
内山「良い関係なので、大事にしなくちゃいけないと思います。でも甘えちゃいけないから、親しき中にも礼儀ありという感じです。甘えずに、お互いにカバーし合えるようにして、一緒に強くなっていきます。」
宇喜多「4年生のとき『学芸大のヨンパー、宇喜多・内山』みたいなの良いよね。関東インカレで一緒に表彰台に乗りたいです。」
内山「早く怪我を治します。」
宇喜多「私に言えるようなことはないけど、今はケガをして走れないと思う。でも普段の成実の補強とかを見ても常に全力で、それは走るときに絶対活きてくると思う。走れなくて焦ると思うけど、絶対平気だと思う。もし関カレは万全でなくても、成実が目指す大きな試合は後半にもある。(お互いに目を潤ませる)だから、焦らないで。」
内山「はい、わかりました(笑)。」

(聞き手・編集:片井 雅也)
2016年1月31日 宇喜多 七海 内山 成実

『スタートライン』

―Road to 2016 学大の挑戦―②
 第2回目は昨年の日本ジュニア選手権混成競技で7位入賞を果たし、7月末の国士館競技会で自己ベストの6395点を出した、混成ブロック2年の久保敬寛選手です。この3月で武内勇一、船場大地ら強かった4年生が引退して、持ち記録3番手で迎える関東インカレ。彼の意識を変えたきっかけは何だったのかを探ります。(以下、敬称略)

――昨季は6000点を越えました。振り返っていかがですか。
久保「まず4月から関カレにかけて、1か月半ほど坐骨神経痛で走れませんでした。5月の関カレで武内さんが肉離れしたのを見て、『マジか』と思いました。その中でもノブさん(=混成ブロック3年, 荒谷亘彦)と飛鳥さん(=混成ブロック3年,柏倉飛鳥)が闘っていて、来年武内さんとか船場さんとか4年生が抜けると考えたときに、ふと三番目は誰になるんだろうかと考えました。高校時代は(混成ブロックの)同級生3人と黎(=混成ブロック1年,山下黎)にも負けたことがなかったし、『俺が出ないとダメじゃん』と思いました。そこで意識がかなり変わりました。1年生の時は『6000点を越える』という目標はあったんですけど、目的がありませんでした。目標が達成できても、それは自己満でしかないものでした。ただただステータスとして6000点を越えたいと思っていました。だから試合に出て5700点と5800点とかでも、『次の試合で頑張ればいいや』としか思いませんでした。関カレが終わってからは『チームのために』、『飛鳥さん、ノブさんの次には俺が入らないといけない』という目的が出たので、目標もしっかりとできました。ただ『6000点を越える』とかじゃなくて、武大(国際武道大学)も(関東インカレ2部に)落ちてきているなかで、いかに自分が点数を取るかと考えると『もっと自分頑張らないとな』と思ったのが1つきっかけでした。7月の日本ジュニアは2年生ということもあって、『これはさすがに入賞しないとまずいな』と。そんな気持ちで迎えたシーズン初戦でまだ坐骨神経痛の影響もあったんですけど、7位に入って初めての全国入賞でした。ジュニアで6381点だったので、(シニアで)それにどれだけ近づけるかが今後の目標となっていました。7月末の国士館(競技会)は前日練習は絶不調だったんですけど、アップで後半の加速がかなり良くて、スタートも『後半に繋がればいいや』くらいの気持ちで走りました。それが11秒03でやっと高校のベストを更新して、そこで流れに乗れたのが良かったです。」

――国士館と言えばやり投(56m68)だと思いますが、感覚はどうでしたか。
久保「あれは自分でも驚きでした(笑)。まず黎のベストが50mなので、『どうやったら投げられる』ってザックリ聞いたんですよ。そしたら、(山下のマネをしながら)『いや、ちがうんすよ。先輩、肩強いんで、最後に脚開くんすよ。脚開けば、肩前向くんで、飛ぶんすよ』って言われました(笑)。それを実践したら、一投目はダメだったんですけど感覚はすごく良かったんですよ。二投目は周りの雰囲気が良くなくて、少しイライラしていたんですよ。『記録で黙らせてやる』と思って、イライラしながらも集中して投げました。『綺麗にとんでる』と思って、50mラインを越えているのが見えました。走って記録を見に行ったら56~7mを越えてるんですよね。『え!?9mベスト更新!?』船場さんも武内さんもビビっていて、ちょっと気持ちよかったですね(笑)。そのあと、後半シーズンはずっと試合続きというのもあったんですけどダメでしたね。国士で各種目もほぼベストで結構まとまったこともあって、全体の底上げが必要だと感じて後半はピリッとしなかったです。」

――6000点を越えても現在のチーム内では中堅です。レベルの高い学芸大学混成ブロックどうですか。
久保「逆に嬉しいです。九州の大学に残っていたら、大学内でも1、2位くらいの記録だと思います。でも学芸だったらまだ6番目とかで、『まだまだ頑張らなきゃ』という気持ちになれます。九州だったら上位の6300点でも、関東だったら当り前だと感じるので、関東に来て良かったと思っています。その中でも学芸大学を選んだのは、船場さんと武内さんの存在が大きかったです。船場さんは中学校から知っていて、インターハイにも出ていて憧れでした。武内さんも陸マガ(=陸上競技マガジン)で見ていたりしていました。入学してからも二人のタイプがそれぞれ違っていて、船場さんは『しっかりと考える』タイプで、武内さんはどちらかというと『走って、ウエイトして、強くなる』みたいなタイプ。この両極端な二人がいるので、自分は良い意味で良いとこ取りをさせて頂いています。同じ4年生でも邦さん(=混成ブロック4年,鈴木邦仁)は『お兄ちゃん』、彦毅さん(=混成ブロック4年,小宮山彦毅)は『ずっと笑ってる』って感じです(笑)。ノブさんと飛鳥さんはまた独特で、『どこを掴めばいいんだろう』って感じです(笑)。自分はスプリント型なので、そういう意味でノブさん、フィールドやハードルの技術面では飛鳥さんが良い目標です。」

――この3月で武内勇一選手、船場大地選手、三村瑞樹選手、鈴木邦人選手など先輩が引退していきます。ブロック内での自分の役割はどうなると思いますか。
久保「自分としてはいかにして上に近づくかだと思います。関カレ等で戦っていくときに、いま自分より下の人は見ないようにしています。絶対上を見て、上に近づくことだけを考えてやるようにしています。結構考えているのは、飛鳥さんとはまだ点数がある中でどこだったら縮められるか。縮められるところで一気に縮めて、離されるところでどこまで粘れるかが、先輩たちに追いつくポイントだと思っています。練習のなかであれば、セット走の中で1本でもノブさんに勝つとか、何かしら1本勝つことの積み重ねが重要だと思います。同級生の3人や黎に関しては、4人の良いところもあるし、自分より強いところもあるので、そういうところは拾っていきたいと思います。でもその中でもスプリントは自分が一番だと思っているので、そこは自分が(4人に)伝えて、みんなでレベルアップしていければと思います。自分たちの代になったときに、『(学芸の)混成弱くなったな』と言われたくないです。」

――今年はチームの三番手として関東インカレを迎えます。
久保「いまは(関カレ2部の)ランキングでは6番手になると思うんですよね。武大と得点の取り方が近くなってくるので、そこにも食い込んでいけるようにこの冬で精神面を鍛え、いかに付け入るかを考えていきたいですね(笑)。関カレで全カレ標準(昨年のB標準は6820点)を狙っていくくらいの気持ちで関カレは戦っていきます。本当にこの冬は、気持ち入ってます。」

――さらに得点を伸ばすために今足りないものは何ですか。
久保「足りていないものといえば全部ですけど(笑)。とりあえず自分の土台のスプリント系を底上げして、(100mで)10秒台と(400mで)49秒中盤くらいは絶対必要になってくると思います。その上に跳躍技術をつけていきたいです。高校の時からも跳躍の5歩前までは7mジャンパーと言われていて、残りの5歩で残念だと言われています(笑)。あとは全体の底上げをして、苦手をなくして得意を伸ばしていきたいです。去年はやり投が伸びて、苦手意識がなくなって、円盤投も結構伸びました。あと苦手と感じているのは、砲丸投とハードルと跳躍ですね。まあ、スプリント以外ですね(笑)。でも、やっぱり自分は(1種目目の)100m次第ですね。」

――来季の目標をお願いします。
久保「来季はどこかで日本選手権のB標準(昨年は6850点)を切りたいと思っています。そのために500点アップ、1種目50点アップを目指していきたいです。あとは全カレは3年生で経験しておきたいです。1月のいまの段階だと周りから『そんな無理だよ』と思われてるかもしれないですけど、計画を練って着々と狙っていきます。『全カレに出るために』と『チームのために』という目的で関カレを目標に戦っていきたいです。」

――最後に一言お願いします。
久保「学芸にこれたことが自分のなかで『誇り』です。大学生活も、陸上部にいれることも。先輩の話を聞いたりとか、質問したりとか、周りの環境をうまく使えていないなと思っています。いまさらかもしれないですけど、先輩たちが卒業する前に色々聞いたり、同級生、後輩とかも使っていきたいです。めっちゃ自分に関わってほしいです。何かあれば自分にアドバイスしてほしいです。」
(隣で自動車教習の仮免許の勉強をしていた内川)
内川「仮免、頑張ります!(笑)」
久保「それ、俺がアドバイスしてやるよ!(笑)」

(聞き手・編集:片井 雅也)
2016年1月27日 久保 敬寛

『The year of YAMAHANA―脳内9割食と陸上』

―Road to 2016 学大の挑戦―①
 年が変わり2016年になりました。昨年の関東インカレでは男子は2部降格、女子は6位と目標を達成できなかった悔しい1年となりました。2016年のシーズンを迎えるにあたって、「挑戦する」学芸大学の選手の声をお届けします。 

 第1回目は昨年度800mで5月の関東インカレ、6月の日本選手権、9月の日本インカレと3冠を達成した、女子中長距離ブロック長3年の山田はな選手です。「最高」のシーズンとなった昨季を振り返って、来季の目標を語って頂きました。(以下、敬称略)

――昨シーズンは関東インカレ、日本選手権、日本インカレと全国タイトルをほぼ総なめにしました。率直に振り返っていかがですか。
山田「もう本当に最高でした(笑)。私は二十歳(はたち)で人生のピークを迎えたなと思っちゃいました(笑)。関東インカレでは優勝できると思っていなくて、優勝は本当にびっくりでした。日本選手権こそ優勝できると思っていなくて、地元(=新潟)開催ということもあって入賞はしたいと思っていました。野口(純正,中長距離ブロック)コーチにも普通にいけば決勝はいけると言われていて、プレッシャーもあったんですけど決勝にはいけるという自信は若干ありました。決勝では1周目で真下(まなみ,セレスポ)さんが前に出たときは、後ろに着かずに表彰台狙いで第2集団に付いていました。ラスト200m地点ではまだ諦めていました。ラスト100mに入っても意外と真下さんと距離はありました。でも落ちてきているのがわかって、『いけない』という気持ちと『頑張ればいけるかも』という心の葛藤がありました。最後は真下さんも落ちてきていたので、『いけるかも』と頑張ったら結果として『いけちゃった』という感じです。(決勝では)石塚晴子(東大阪大敬愛高校3年)の棄権があって、表彰台はいけると思ったのですが、そんなにうまくいくとはさすがに思っていませんでした。」

――日本選手権はいつ頃から見据えていましたか。
山田「大学2年の関カレで2分8秒01でした。日本選手権のA標準が2分8秒00で、地元の顧問の先生からも『あと0.01秒速く走っておけよ』と言われていました。そこで新潟(開催)だから絶対出たいと思いましたが、結局そのシーズンで標準記録を切ることはできませんでした。」

――日本選手権前後で心境の変化はありましたか。
山田「日本一になったからといって、特に自分自身が『強い選手』だとは思いませんでした。7月のホクレン(ディスタンスチャレンジ)でも、真下さんや蘭ちゃん(=女子中長距離ブロック2年,卜部蘭)にも負けたり、トワイライト(ゲームス)で夢ちゃん(=日本体育大学2年,北村夢)にも負けたりしました。別に負けたからプライドが崩れるとかはなくて、『勝つところで勝てばいい』と思っていました。私は考えが単純なので、『プレッシャーで寝れない』とかは特にありませんでした。」

――入学以来、毎年自己ベストを更新しています。その要因は何だと思いますか。
山田「やっぱり『毎日楽しい』ことと、『自分でしっかり考えるようになった』ことだと思います。高校の時は受動的に陸上をしていました。最終的にはやっていて良かったと思いましたが、『やっぱりバスケ部に入っておけば良かったな』と思うこともありました。本当は小学校から足が速くて、中学校から陸上をやりたいと思っていました。でも中学校では陸上部がなくて、バスケ部に入りました。高校でもバスケか陸上か悩んだんですけど、陸上部の見学に行ったら雰囲気が凄く良くて、『楽しそうだな』と思って陸上部に決めました。(中学の頃)バスケの練習前に4kmT.Tをやっていたんですけど、今振り返ってもものすごいタイムで走っていました(笑)。男子バスケ部や野球部とかにも勝っていて、『陸上をやった方が良い』と言われていました。周りの勧めと、自分でもやりたいと思って(高校では)陸上部に入りました。」

――高校ではあまり実績はありませんでした。入学した直後の学芸大学はどのような印象でしたか。
山田「今までは高校の中でも勉強はできる方で、走りも一番実績がありました。でも学芸大学はみんな頭も良くて、実績も『インターハイに出て、普通』みたいな感じだったので、ちょっと引け目を感じていました。高校の頃は『自分ちょっと凄い』と思っていたんですけど、大学に来るとそんな人ばっかりで少しプライドを折られました(笑)。かわいい人とか良い人も多くて、嫉妬というか羨望の気持ちがありました(笑)。」

――それと比べて、現在の学芸大学はどうですか。
山田「『自分が強い』という意識はあまりなくて、逆に『もっとプライド持ってよ』っていう感じなんですけど(笑)。今は普通に学大が好きです。1年のときは人の名前を覚えるのが苦手で練習しづらかったです。Jogをしてそのまま颯爽と帰ったりしていました。でも、今は陸上部が好き過ぎて、グラウンドが私の居場所です。」

――いまはどういうことを中心に考えて、練習をしていますか。
山田「1、2年の冬はロングの走り込みを中心にしていました。でも今年は大学ラストということもあって、駅伝以外はスピードに重きを置いています。800mをやっていて、スピードがあればもっと速くなるということが自分でわかります。『400mのタイムを上げる』というテーマで、自分より速いリズムを掴むために短距離女子とガンガン一緒に練習しています。後はJISSや日本陸連の合宿にもありがたいことに呼んで頂いて、そこで教えてもらったサーキットや練習を取り入れて、自分がやりたい練習をやるようにしています。色んな人の意見を聞くことも意識しています。JISSの方や陸連合宿のメニュー、他の選手がやっているメニュー、短女や短男、持田(尚)先生(=陸上競技部コーチ)のメニュー、岩崎(領,短距離男子4年)さんや船場(大地,混成ブロック4年)さん、武内(勇一,混成ブロック4年)さんに相談したこともありました。誰かに依存したくなくて、色んな人の意見を聞いて、最終的には自分自身で判断したものをやるようにしています。」

――来シーズンは学生ラストイヤーとなります。目標を教えてください。
山田「再びの3冠(関東インカレ、日本選手権、日本インカレ優勝)です。国体も来年から800mが復活するので、狙っていきたいです。でも、新潟県には速い選手が2人いて、まだ選ばれるかわかりません。3人全員が国体標準を切ったら、国体予選の直接対決で決まることになっています。日本選手権よりも県選とか国体予選の方がプレッシャーですね(笑)。でも国体は初めてなので出たいですね。」

――タイムとしてはどうですか。
山田「タイムとしては2分4秒を狙っていきたいです。2分4秒までいけば、2分2秒とか1秒みたいに上が見えてくると思います。そうすれば2020年の東京オリンピックも狙えると思うので、とりあえず2分4秒くらいまでは出したいです。でも強い選手に聞くと2分5秒が一つの壁になるようなので、来年(勝負に)勝つためにも2分4秒が目標です。」

――日本学生記録(=2003年,西村美樹,東学大,2.02.10)はどうですか。
山田「出したい気持ちはありますけど、まだ2分6秒しか持っていないので『出したい』とは言えません。でも春先の関カレなどで2分4秒が出せれば、全カレや川崎(=かわさき陸上競技フェスティバル)などの記録を狙う試合で狙えるかもしれません。陸連の方にせっかく良い環境を用意してもらっているので、『出したい』と言えるようにしたいです。」

――女子中長距離ブロック長としてはどうですか。
山田「最近は練習メニューを決めずに、その日の様子を見て何をやるか決めるようにしています。中長女子1年生には本当に申し訳ないと思っています。1年生をもっとケアしなければと思っているのですが、ケアしきれていません。思うこともあるんですけど、なかなか言う機会がなくて厳しいことも言えていません。正直ブロック長としてはダメだなと思っています。それなのに1年生3人は私のことを尊敬してくれて、(11月の第2回日光)いろは坂駅伝の選手アンケートで3人が尊敬する選手の欄に私を書いていてくれました。本当にびっくりして、感動しました。」

――最後に何か一言お願いします。
山田「今は痩せます(笑)。痩せようと思い過ぎるとストレスになりますけど、意外と走れているので『体重』が走れない原因とはまだ思っていません。でも食べるのは好きなので、食べつつ痩せたいと思います。
本当に今年は運が良かった。強運と強靭なメンタル、そしてこのポジティブ過ぎる思考でここまで来られたと思います。私は運でできているのだと思います。
関カレと日本選手権は棚ぼただったけど、狙って優勝できた全カレは一番嬉しかったです。4年目の今年は、八木ちゃん(=女子中長距離ブロック競歩パート3年八木望)と約束していた、表彰台の頂点に二人で一緒に乗りたいです。」

(聞き手・編集:片井 雅也)
2016年1月22日 山田 はな

『次は少しでも速く、前に』

こんにちは。佐賀北高校出身、E類生涯スポーツ専攻1年、短距離男子ブロックの江頭佑紀です。専門種目は400mHです。綺麗に越えれたときのなんとも言えない爽快感に魅了されてハードルをやっています。
今回コラムを書かせていただくということで私が冬季練習に入る前に考えたことについて書きたいと思います。
来シーズン、目標とするタイムで走るために今の自分に何が一番必要かを考えたときに一番必要なのは走力の向上だと思います。走力をアップさせるために筋力をつける、フォームの改善など課題はたくさんありますが、私は今回、練習や試合での気持ちの持ち方を考えました。
昨シーズンを振り返ると私はただ練習をこなすことで精一杯でした。そして周りの速い選手についていけなくても『あの人は速いから仕方ない」 「自分はヨンパーだからスプリント専門の選手に勝てなくても仕方ない」と勝手に納得していました。そういう考え方ではいつまでたっても成長できないし、それが昨シーズン自己ベストを出せなかった原因だと思います。
そこで「仕方ない」というマイナスの考え方から「次は0.01秒でも速く」「次は少しでも前に」というプラスの考え方に改めました。毎日の0.01秒、一歩の積み重ねで走力を上げていこうと思います。せっかく関東というレベルの高い環境に来たので日々挑戦し、食らいついていきます!!

今は冬季練習の一番の頑張りどころです。来シーズンは関東インカレ2部400mHのA標準(53″90)を切り、勝負したいと思います。まだまだ現時点では高い目標ですが、達成できると信じています。来シーズンを見据え「次は少しでも速く、前に」を意識して日々の練習に取り組んでいきます。
2016年1月6日 江頭 佑紀

『自己実現を楽しむ』

こんにちは。B類社会専攻1年の川口文岳です。     
中長距離ブロックに所属しており。専門種目は特にこだわりませんが、練習は5000m以上の種目を見据えてしています。中長のうち中か長だと、長の方です。     

さて、実は部員コラムの依頼はこれが2回目で、1回目は書くべき内容がなかったので、何もせずごまかした訳ですが、1回目と2回目の間に箱根駅伝予選会があり、思うところがあったので、それを記していこうと思います。     
予選会そのものは、自分の目標にかなう走りは出来たものの、全体でいえば下半分の下半分位の成績で、どうにもこうにも力不足を実感させられました。それでも、予選会は自分の置かれた位置を把握するのには絶好の機会であり、競技レベルも学校も様々な選手が走るレースでの経験は、自分の視野を広げてくれたと思っています。ただ、予選会後すぐに、大会の疲れもある中、距離を走り過ぎてしまいケガをしました。気合が空回りした形です。     

そこで、やはり基礎の徹底が大事なのだと思わされました。     
オリンピックのメダルを獲得するには、競技人口を増やすことが大事と言われます。その論理の説明に際し、よくピラミッド型の図を目にすると思いますが、僕はあのモデルは個人の競技のレベル向上にも適用できると考えています。本当は図を持ち出して説明したいぐらいですが、ここでは割愛。     
つまり、土台を広く、大きくそして強固にすることが、バランスよく土台の上に高く、大きく積み上げるのには必要です。そういえば、基礎という漢字はどちら建物の土台を意味します。     
そして、土台の上に積み上げながらも、適宜、土台にヒビが入ってないか、誤魔化さずに確認することが大事なのだと思わされました。今回のケガはこの作業を怠ったのです。     

その一方で、土台を作りながら、同時に、ピラミッドの完成計画は持っていなくてはいけません。つまり、どのレベルまで競技力を引き上げるかという目標の事です。     
その点に関しても予選会で視野が広がったお陰で、目標に対して、まだまだ自分の持っていた土台が小さかった事にも気付き、一から作り直す機会を得たのは喜ぶべき事です。     

一歩ずつ、気を引き締めて、着実に成長していきます!! 今後ともよろしくお願いします。
2015年12月5日 川口 文岳