1年生コラム「きっと有終完美」

こんにちは。栃木県立宇都宮北高等学校出身、A 類初等教育専攻理科コース1年の渡邉雅博です。東京学芸大学陸上競技部では、トレーナーとして活動させていただいています。この度は、大変光栄なことにコラムを書かせていただけることになりました。ありがとうございます。拙い文章になりますが、最後まで読んでくださると幸いです。

私は、小学2年から高校3年までの約10年間、陸上競技部の選手として日々練習に励んできました。私は、4人兄弟の末っ子であり、姉二人は走幅跳、兄は棒高跳を専門とし、私自身は走高跳を専門としていました。陸上競技は小学2年から始めましたが、その頃は体を動かす目的で地域の陸上競技クラブに所属し、楽しく活動していました。しかし、小学5年次に開催された地区大会にて、走高跳で優勝した経験がとても嬉しかったことから、陸上競技が好きになり、魅力的に感じるようになりました。そして、中学入学を機に本格的に陸上競技に取り組むようになりました。中学では、たくさんの大会に出場させていただき、走高跳の PB を 30 cm も更新することが出来ました。そして、大きな怪我もなく、陸上競技が本当に大好きでした。

しかし、高校1年次の5月からは腰痛に悩まされるようになりました。腰痛の影響で、練習は一切参加出来ず、日常生活にまで支障を来されました。整骨院にて治療とリハビリにほぼ毎日取り組み、定期的に大きな病院にも通いました。しかし、一向に回復する気配がなく、私自身の陸上競技に対するモチベーションは日々低下していきました。「なんで自分はこんなにも怪我に悩まされなきゃいけないんだ」「陸上競技なんてもうやめてしまいたい」などと毎日のように考えていました。また、「明日の朝、目が覚めたら(腰痛が)良くなっているかな」とも毎日のように考え、朝起きても痛みは変わっていなかったり…時には悪化していたり…で精神的にとても辛かったです。

しかし、そんな状況でも陸上競技を続けることが出来たのは、両親や友人、顧問の支えがあったからだと確信しています。毎日のように整骨院に送迎してくれ、家からとても遠い病院に連れて行ってくれた両親、学校で常に励ましの言葉をくれた友人、腰痛改善のストレッチやマッサージをしてくださった顧問など、本当に恵まれた環境があり、陸上競技を諦めずにやりきることが出来たと考えています。

そして、同年の12月には、少しずつではありますが練習に参加できるようになり、高校二年次のシーズンを迎えることが出来ました。
実は、復活後は腰痛の再発を懸念し、専門種目を走高跳から 400mHに変更しました。自分が長い年月向き合ってきた種目を主として取り組むことが出来なくなったことは、とても悔しかったですが、気持ちを切り替えて 400mHに全力で取り組みました。
そして迎えた高校最後の県総体、私は 400mHと 4×400mR に出場させていただき、どちらも満足のいく結果を収めることが出来ました。引退時には後悔の気持ちは一切なく、最後までやりきることが出来たと感じました。

長くなりましたが、私が伝えたいことは、最後まで諦めずに最善を尽くすことで、努力は必ず報われるということです。ありきたりな言葉ではあるかもしれません。しかし、自分が辛く苦しい状況に追い込まれている時ほど、この言葉を軽視してしまいます。このコラムを読んでくださっている皆さんは、これから大きな壁にぶち当たり、辛く苦しい状況を経験するかもしれません。そんな時は、私のコラムを読み返していただきたいです。そして、自分を信じて諦めずに頑張っていただきたいです。

私は、東京学芸大学の陸上競技部の全ての選手の方々が、引退する際に「最後までやってきてよかった」と、心底思っていただくためにサポートとして尽力して参ります。
選手の皆さん、応援しています!ファイト!