関東インカレコラム「線路は続く、現実まで」

この度コラムを執筆させていただきました、高崎市立高崎経済大学附属高校出身、混成ブロック所属の新野恵です。コラムなど自伝的なことを書く経験はめったに無いので、光栄に思っています。。こんな人間もいるのだなと思いながら拙い文章ですが、読んでもらえると幸いです。

「来年は選手として競技場内に立とう」

1年生の10月、投擲補助員として、相模原ギオンスタジアムのフィールドにいました。実績も記録ももっていない私には無縁の世界だと思っていたため、不思議な感覚だったことを今でも覚えています。無観客かつ声を出すことができない環境下においても、独特の緊張感と熱気をすぐ近くで感じました。無縁の世界に放り込まれたことで幻想から希望へと変化しました。帰り道、同期と話しながら共通認識が生まれたように感じました。当時の記録は標準記録と雲泥の差。希望を現実にするための練習がスタートしました。

2年生、共通認識をもった同期は早々に標準をきりました。しかし、私は死に物狂いで何度記録会に出ても突破できませんでした。同期は中身がある努力をしていましたが、私は惰性で練習していたため、成果は全くありませんでした。それに気づいてからは必死でした。そして、背水の陣で標準記録を突破することができました。約半年越しの相模原、景色は鮮やかなでしたが、砲丸投の前に吐くくらい緊張をしていたので、正直記憶はありません。

1年後、何度も経験してきたはずの標準切りの大会への応援を拒むようになりました。日々悪化する腰痛、再発した左膝の痛み、かばうことで痛めた右足首。部員への妬ましい感情は微塵も無く、記録が出るのは素直に嬉しかったです。その反面、部員の競技と向き合う真剣な姿から、自分自身の練習不足、精神面の弱さなどの愚かさが露呈してしまうことを恐れていました。幾度となく醜い所をひけらかしているにも関わらず、何を言ってんだと思いますが、その時は何かを守ることに必死でした。

そして迎えた初戦。国立から見えた景色は暗かったです。見たかったもの、見たくなかったもの、見ざるをえなかったものが複雑に混ざっていました。入賞、決勝進出、ベスト更新など様々な吉報で喜びに満ち溢れる半面、今までの経過から自分自身の全てに絶望しました。そして、再び無縁の世界と感じるようになりました。

4年生になった今、無縁の世界を通過点と捉えるようになりました。上記の通り、私の人間性、競技力の低さなどから見たら本来今も、無縁の世界のままです。また脱線したままです。しかし、多くの方々の応援や支えがあったからこそ、レールを再構築し、成長するための通過点へと変化しました。私にとって無縁の世界はまだ多くあります。それを現実のものとするために重要な所に位置づけています。そこを通るからには見てくださった方々に勇気や感動、支えてくださった方々に感謝の気持ちが伝わるように、相模原で見たい景色を見られるように7種目楽しみながら戦っていきます。