1年生コラム「可能性を信じて」

こんにちは。
船橋市立船橋高等学校出身、女子跳躍ブロック 1 年の亀田紘花です。
この度はコラムを書く機会を頂き大変光栄です。
今回は、主に今までの競技人生について書かせていただきます。

私は、小学校の校長先生が陸上クラブの監督だったことがきっかけで小学校 6 年生の時に本格的に陸上を始めました。
中学校に入学してからは幅跳びの記録が一気に 40cm も伸び、県大会で入賞することができ、全国大会に出てみたい!という気持ちからジュニアオリンピックの標準記録を突破することもでき陸上がとても楽しく感じる 1 年でした。しかし、中学2年時に初めてスランプを経験し、このままでは中学 3 年生になった時に全国大会で戦えないという思いから部活動とは別に幅跳びを専門的に教えてくださる方のもとで指導を受ける選択をしました。部活動の顧問の先生が考えてくださるメニューや幅跳びのコーチの技術指導のおかげで中学 3 年生の全国大会では入賞を果たすことができ、とても貴重な経験をさせて頂きました。

高校の練習は中学校の練習とは全く違い、新しい練習に対して楽しいという気持ちよりもできないことの多さに焦る気持ちの方が大きかったです。高校生になってから初めて本格的な冬季練習を行い、当時は本当にきつくて次の日が来るのが怖いと思っていました。それでも無事に春を迎えることができ、春先は思うように記録が出ませんでしたが、練習の目的や自分に足りていないものがわかるようになってからは力がついていくのを感じました。高校生になって初めて出場した全国大会では入賞することができ、来年も結果を残したいという思いから、1 年生の時に克服できなかった冬季練習に対しても前向きに考えられるようになりました。冬季練習中にしんどくなった時には全国で優勝する人と競った時に勝てるかどうかを自分に問いながら練習に励みました。そんな努力も虚しく高校 3 年生のシーズンは南関東大会に進むことさえ出来ず、今まで頑張ってきた意味が無かったように感じました。幸いなことに早生まれであったことから 10 月の U18 の全国大会に出られるというわずかな希望だけがモチベーションだったと思います。しかし県大会で負けた日からU18 まで約 5 ヶ月あり、その期間ずっと前向きに頑張ることは出来ず、何度も陸上をやめたい、なんで頑張ってるのかわからない、陸上を考えない時間の方が楽だと現実逃避していました。インターハイでは多くの仲間が活躍し、とても誇らしい気持ちでしたが、やはり自分もインターハイに出られていたらもっとみんなと同じ温度で喜べたんじゃないかと思い心の底からみんなと一緒に喜ぶことが出来なかったことが情けなかったです。U18 では思うような結果は残せませんでしたがみんなが応援してくれ、最後まで諦めずにその日のために練習を続けることが出来たので満足しています。

高校生の時は考えすぎてしまい、義務感のようなものが強くなってしまっていたので大学ではベストを出さなきゃ、結果を残さなきゃではなく「ベストを出したい」、「日本一とりたい」など自分の心に正直に誠実に陸上と向き合えたら良いなと思っています。学大陸上部に入部してからは、今まで知らなかったことや新しく教えてもらう動きなどがたくさんあり多くの発見が刺激となっています。
今陸上を続けられているのは、いつも支えてくれている家族と今まで指導してくださった先生方、現在指導してくださる先生方、元気や希望をくれる仲間、そして続けたいと思わせてくれる陸上の魅力があるからだと思います。
まだまだ自分には可能性があると思うので感謝の気持ちを忘れず前向きに頑張りたいと思います。

また機会がありましたら、私の陸上に対する考えを書かせて頂きたいなと思っています。
長い文となってしまいましたが、最後まで読んでくださりありがとうございました。